ザ・ユウヒーズ / Mountain

from ホフディラン al. 『Jailhouse Hits』 01


 ユウヒーズを筆頭に、上位6曲を初期ベスト盤「Jailhouse Hits」収録曲が独占。というホフディラン日和な今日ですけれども、ええと「Mountain」「Jailhouse Hits」「欲望」「恋はいつも幻のように」「極楽はどこだ」「スマイル」・・・という並びが明瞭に示すとおりの、ぼくはユウヒ原理主義です。

 ホフディランの活動休止に関して「いちばんのお気に入りがベイビーは『多摩川レコード』、ユウヒは『Psycho Pop Killer Bee』」・・・というエピソードが各所で比較論的に持ちだされますね。まぁ実際すごく象徴的でわかりやすい。ぼくは「Jailhouse」以降(つまり移籍後)のホフディランを聴いてないんであれですけど、それは「Psycho Pop」を「ホフディラン(3rd)」に置換してもそのまま当てはまる(と、勝手に思い込んで)います。


 ベイビーの「捩れ、曲線性」とユウヒの「ストレートな直線性」のクロスブリードがホフディラン。という(これまた模範的な)解釈にもぼくは別段、異論とかないです。ただもう少し個人的なイメージを重ねて言えば、ぼくはホフディランって「ベイビー=ファンタジー」「ユウヒ=リアル」的な捉え方をしています(大雑把で乱暴な言い方だけどね)。

 たとえ「授業が退屈だったからキミの似顔絵を描いたよ」とか「手づくりのマフラーにキミのイニシャルなんか入れてくれると嬉しいな」って身近で日常レベルを歌っても、ベイビーの世界は(その「捩れ」ゆえに)ファンタジックな響きを帯びる。少なくともそう、ぼくには伝わる。そしてその響きは心地良い。嫌いなんかじゃ勿論ないけど、それ以上にぼくは苦悩や葛藤しながらも常にポップでありつづけようとするユウヒの姿に強烈な親和性を覚える。


 もしかしたらこういう言い方を快く思わない人がいるかもしれないけど、ぼくにとってのホフディランは「ユウヒが必要条件。ベイビーが十分条件」なんだよな。ただそれは「ユウヒがメインで、プラス・アルファとしてのベイビー」って意味合いとは決定的に違う。やっぱりぼくはホフディランという「形」が好きだし(たとえ初期のアルバムしか持ってなくとも・笑)いつか活動再開するのを強く待ち焦がれてもいる。


 そして仮に再開し、1発めのアルバムが多摩川色であれサイコ・ポップ色であれ、どのみちぼくはユウヒの声とか音をまず探す。サウンドの中の「ぼくにとっての」リアルを求めて聴くと思う(それは単にぼくの「聴き方」の問題であって本質とは異なる。ベイビーの歌やギターに強くリアルを感じる人は、そういう聴き方をすれば良い。音楽にリアルを求めないならそれも良い。聴き方は自由)。