Say Hello To The Trickstars (仮)


 麻草さん(id:screammachine)の「たとえそれが害悪だとしても(id:screammachine:20040427#p2、id:screammachine:20040429#p5)」を、ここ数日でもう何10回と繰り返し読んでいる。読むたびになんてゆーか頭ん中をぐわーって掻き回される感じで、吐き出したい思いや感情が次々と浮かんではぐちゃぐちゃに交錯し、収拾できなくて困ってる。未だに全然まとまんない。ここまで書くのにもう何10分もかかってるんだよ。何を書いても自分の思いをきちんと落とし込めれてない気がして、そのたびに消したり書き直してる。堂々巡り。疲れる。気持ち悪い。あ。うん、そう「気持ち悪い」んだ。その感情が常に消えない。気持ち悪さがずっと喉に支えてる感じ。強烈な違和感。なんか全然うまく言えてないけど。善と悪・・・善と偽善・・・善を接点に交錯する偽善と悪・・・・・・うわーまた頭ん中がぐちゃぐちゃして言葉が繋げない。うまく紡げない。気持ち悪い。このサイト(http://www.geocities.jp/namen_nakonkurieiga/index.html)を読むたびに、読み進めるほどに強く感じる、この気持ち悪さってなんなんだろう? よくわかんない。わかんないけど気持ち悪くて仕方ない。汚い言葉しか出てこなくて申し訳ないけど、ほんとそれしか言いようがないです。潔癖症っぽさ?・・・ヒステリックな感じ?・・・うん、そういうのも確かにある。けどそれだけじゃない・・・「善意の袋叩き」っていう麻草さんの言葉はほんと言い得て妙だと思う。そう、きっと「善意」なんだよな。本人(たち)的には間違っても自分が「悪」のはずないし「偽善」のつもりも毛頭ないんだろうな。けど、なんていうか、そこに強烈な「ズレ」を感じるんだよ俺は。その潔癖症っぽくてヒステリックな「善意」をどうしても受け入れたくないって、たぶんそれは生理的な感情でしかないんだろうけど、思えてならない。ぼくは部屋にテレビがない。新聞も取ってない。ニュース・サイトとかも普段全然見ない。だからコンクリート事件の詳細とか何も知らないし、この映画じたいに全くなんの興味もないし、それでも公開されれば遺族が物凄く傷つくだろうってくらいは想像できるし、そこで「遺族ガタガタうるせーよ」とか毒づくほど自分はバカでもヒトデナシなしでもないつもりだし(あーこれは偽善かもしれない。うん)配給側の「少年犯罪の実態を提示し、真剣に考えてもらいたい」とかそうゆうね、名目とか言い分みたいのは・・・そりゃどう見たって偽善でしょ。宣伝用の建て前でしょ。ほんとは話題にしたいだけでしょ。って思うよ。思うんだけど・・・でもなんか「封殺しようとしてる人たち」の主張にどうしても感応する気にならない。というか、したくない。「善意の第三者って存在が生理的に嫌い」? いや違う・・・気がする。そうゆうんでも多分なくて。「善意の第三者」っていう枠組を否定したくは全然なくて・・・あの。とにかく「ズレ」なんだよ。


 あのね感覚的にいちばん近いのはね、森達也さんの「A」と「A2」っていう、オウム真理教信者の「その後」を追ったドキュメント映画なんですけど。あれの中で、道端でオウム信者と警察が小競り合いんなったとき偶然その場に居合わせて、そんで便乗する形で信者に説教かましてたオッサンとかオバサン連中とか。あと住民運動の先頭に立ってオウム信者に詰め寄ってる人らとか。それを見て、やっぱりぼくは「気持ち悪い」って、強烈に感じて。それを真っ先に思いだす。その「気持ち悪さ」ってのが、まさしく今のこの「気持ち悪さ」と同一で。いや「オウムは悪くない!」とかね。素っ頓狂な主張をする気は全然なくて。そりゃ「衝撃発覚! オウム実はサリン撒いてなかった」レベルのどんでん返しが起きない限り、確実にオウムは「悪」ですよ。けど、じゃあ「悪」に説教してたオッサンオバサンが必ずしも「善」かってなると・・・どう贔屓目に見ても思えない。わかりやすい勧善懲悪の形がね、はっきりとこう、二項対立の図式で提示されてくれればよっぽどありがたい(語弊アリ)ですよ。けどカメラを通して向こう見る現実は全然そうじゃない・・・むしろ奇妙なことに(仮にここで説教側を「善」、信者を「悪」と扱いますけど)善・悪と正常・異常が逆転してさえ見える(と思います。少なくともぼくにはそう見えた)・・・けどその「異常」の側に、社会的「義」は味方する・・・あああダメだまたぐちゃぐちゃんなってきた。わけわかんねぇほんと。「社会的云々とかいう余計なフィルターが真実を曇らせる」とかね、そういう紋切り型の主張をしたいわけでもなくて。ダメだ全然まとまんない。もう少し煮詰めてちゃんと書きたいです(こんな雑文をアップしてしまってごめんなさい。なぜアップするかといえば、それはとにかく少しでもこのぐちゃぐちゃを吐き出してラクになりたい。っていう、きわめて利己的な欲望でしかないです。ネットという公の場に何か吐き出せば少しでもラクになれるっつう短絡的かつ希望的観測も含めて)