ところで全然関係ない話への転化。


 えっとあのですね。これは単なる天の邪鬼で言うんじゃなくて。その、今やどこもかしこも持ちきりのいかりや長介さんですけど。誤解しないでほしいのはぼくも悲しいし切ないですよ。毎週ドリフ見てましたし。8時3分のときとかも覚えてるし。

 で何が言いたいかっつーと至るところで追悼が組まれてるじゃないですか。まぁぼくの部屋はテレビ繋いでないんで、ぼくの言う「至るところ」はつまりネットとニヤイコールですけど。追悼フラッシュとか凄いいっぱい出てるじゃないですか。

 そんでね。しつこいかもしれませんけど、職人の方々の熱い気持ちは勿論わかります。これほど多くの国民に惜しまれる人もそういないよなぁって思うし、おそらく全てと言っていいであろうほど、どれも誠意や真心の存分に込められた作品ばかりで素直に感動します。だからそんな職人さんたちを非難する気は毛頭ない。そもそもフラッシュつくれもしないぼくが非難できる立場じゃないのも勿論知ってる。盛り上がってるとこに水を差したいだけの冷やかしでも決してなく、それらを全て承知や肯定したうえで、それでも1つだけ思うところを述べたいんです。


 それはね。どのフラッシュも感動するって言いましたけど、あまりに感動一辺倒なんですよ。つまり「笑い」を含まない、ストレートに「泣ける」作品ですね。勿論いわゆる「ネタ」フラッシュみたく、バカにしたり冷やかすようなのをぼくも見たいわけじゃないし、またそういうのが全然出てこない辺りにいかりや長介という人が、いかに皆に愛されていたかが窺い知れ、それはとても素晴らしいと思う。

 ただね。そうじゃなくて、もっと「笑える」フラッシュがいっぱいあって良いんじゃないかと思うんですよ。ドリフの笑いの力学に基づいた、悪意のない「笑い」って意味での。

 だっていかりや長介は笑いの人じゃないですか。確かに後年見せたドラマや映画での名演技もまた彼の一部で、人柄の滲みでた、厚みのある素敵な芝居だったとぼくも思う。けどやっぱり、ぼくらにとっていかりや長介はまず何よりドリフターズのリーダーであり「だめだこりゃ」のオジサンじゃないですか。

 だったら「むちゃくちゃ面白い追悼フラッシュつくって手向ける」って選択肢がもっとあって良いんじゃないか。と。寂しさや涙を共有することだけが追悼じゃないだろう。と。つまりこれは、何も今回のいかりやさんに限らず、故人を悼むって行為そのものに関する私見であるわけですが。笑いに人生賭けた人が亡くなったんだから、もっとみんな大っぴらに笑っていいじゃん。と。彼の「死」をただ嘆くだけじゃなく、同じくらい彼の「生」を笑おうよ。と。まぁなんかカッコつけて言うとそういうね・・・全然うまく言えてないですけど。でもなんとなくそんなふうに思うんですよ。という話。