運命の鎖の連なりの幾つか。


 pre-schoolはメジャー・デビュー直後くらいんとき物凄くハマってて、最初のベスト盤が出たくらいにはあんまし聴かなくなっててアルバムも「nueva york」までしか持ってない。ぼくはサウンド以上に大和田さんとecoさんのキャラクターに魅かれてた部分が大きいです。特に目の高さくらいに置かれたマイクに、顔を上向けて背伸びするみたく歌うecoさんが可愛くて仕方なかったですよ。あの可愛さに何か名前をつけるとすれば、くさかんむりの漢字一文字以外に思い当たりません。

 ecoさんの英詩は未だに好きで(日本語の妙訳もまた素晴らしい)、そういえば浪人んとき(98年)pre-schoolの英詩を全部ノートに書き写して教材代りに使ったりしてた。駿台の英語のテキストは最後まで綺麗なままだったけど、このノートは表紙がボロボロんなるまで使い倒した気がするなぁ。pre-schoolの歌詞を覚えてソラで歌うのがぼくの受験勉強だった。楽しかった。


 浪人中の4月か5月にそういえば、駿台の友達を引き連れてpre-schoolのライヴ観に、今は亡き「on air east」へ行ったんだけど、そのとき対バンで出てたのがナンバーガールとデスサーフ2000。まだデビュー前のナンバーガールは、けど「管野美穂ちゃんに捧げます」とかっつって「トランポリン・ガール」を演奏したりしてたから、まったく向井さんはこの頃から向井さんだったのだ(当たり前だ。つーか自分が何を言いたいんだか良くわからん)。

 そんで観て、おぉ。かっけぇし面白ぇなーと思ったナンバーガール(ちなみにこれは推測だけど「スクール・ガール・ディクトーショナル・アディクト」のライナー・ノーツに書かれてる東京での対バンってのは、たぶんこれじゃないかと思う。保証はできませんけど)は、この直後に「透明少女」でメジャー・デビューを控えてたんだけど、そのリリースが5月26日。ぼくは浪人中の19歳の誕生日に、渋谷のタワー・レコードでナンバーガールのデビュー・シングルを買ったのだった。なぜこんなどうでも良いことを、これほど事細かに覚えてるんだか我ながら不思議でならないけど。


 ちなみにpre-schoolスーパーカーはデビューがけっこう近くて、この頃まず間違いなく同じ枠で括られてた。pre-schoolのライヴに行くと必ずスーパーカーTシャツ着てる(主に女の)コが何人もいたし、スーパーカーのライヴにpre-schoolの着てって実際ぼくも友達ができた。両者の内包する空気はある意味で正反対(凝縮と解放)だったんだけど、支持のベクトルは少なくともぼくにとって同一だった。つまり、どちらも歌詞がズバ抜けて良かった(そしてたぶん両方を行き来していた人の多くが、そう感応してたと思う)。後にも先にもぼくが歌詞カードのみを「読み物として」単体で持ち歩き、通学の車内で読んだりとかしたのはecoさんと石渡さんの以外にない。

 まぁけどここでスーパーカーまで持ちだすと、それこそ思い出話とロマンティックが止まらないんで切り上げ。つづきは後日(と言ったまま最後までしないか、もしくは誰も覚えてない頃んなって突然する。のどっちかですよぼくの場合)。