この星のこの場所はリップ・クリームくらいのガードで 壊れそになりながら光の中


 で。じゃあその話をずーっと遡っていくと、その「壁」ってものじたいが実は被害妄想・・・とまで言わずとも、大抵の場合、知らず知らずに自分のつくりだした単なる幻影なんじゃないかと(この辺りの話は、猫山さん(id:necoyama)の、id:necoyama:20040407#p1に大きく依拠しています)。


 先日ぼく「花見オフ(っていう言い方は若干微妙な気もするけどまぁいいや)」に行く機会があって。で、その花見にはいわゆる「大手」とか「有名どころ」と形容されるテキスト・サイトやはてなダイアリーの人たちがいっぱいいて、で、その人たちはみんなぼくよりずっと昔からネットやってて、オン・ラインなりオフなりで古くから深く交流している人たちの集まりで、例えば会話しててもそこに今いない人の名前で大いに盛り上がったりとかさ。明らかに時間をかけてつくりあげられた「場」ってのが確立されてたと思う。

 ぼくはといえば主催者の人とちょっとしたつながりがあって、それで誘われて行ったんだけど、あとはまぁ顔見知りの人が若干名いた程度で、他の殆どの人たちとはオンでもオフでもまったく面識のない状態だった。だから「なんとかさん」の話で盛り上がっててもピンと来なくてわからない。菊地さんの言い方を借りれば、自分だけが浦島太郎で「この人たち何言ってんだろう」って感じだったと実際思う。


 けど、それを別に「壁」ってふうには思わなかった。単に付き合いの長さの問題っつーか。知らない奴だからって冷たくされた覚えとか(ぼく個人の印象では・笑)全然ないし。「ああ俺も、例えば3年くらい前からネットしてて普段からこの人らと交流してたら、きっと『なんとかさん』ネタで一緒に爆笑してんだろうな。けど今それできないのは、単に経験不足(?)っつーか、その『なんとかさん』を俺が知らないってそれだけの理由でしかないよな」とか。

 勿論ね。ぼく自身の人見知りっつーか。初対面の人といきなりざっくばらんにタメ語で喋ったりとかできない性格がまったく絡んでこないとは確かに言えないけど、それでも例えばこの集まりが週1なり月1で定期的に行われつづけたとして、毎回でなくともちょくちょく顔出してれば、そのうち自然に会話ん中に入れるんじゃねーかな。って思うし。


 だからそういうのは転校生が転校初日にクラスメイト全員といきなり等列に並べるわけがないのと同じで。クラスのそれまでの交流に属してなかったブランクを埋めるにはそれなりの時間が必要だし、逆に、それなりの時間が経過すればいつまでも転校生扱いのはずないし、自然とクラスの一員にカウントされていくわけでね。

 要は、実はこれ壁でもなんでもなくない? っていう。あえて「壁」という言い方に固執するにせよ、けどそれは人為的なもんじゃなく単に時間とか積み重ねの問題だろうと。いや壁は壁で勿論ないわけじゃないけど、それは例えばぼくだったら「好きな音楽の方向が真逆の人と一緒にフジ・ロック行っても、向こうではずっと別行動」とかさ(笑)。まぁ極端ですけど(笑)そういう部分で生じるものでしかなくて。考え方や趣味の違いなんてのはそりゃ絶対あるし、それこそ1日2日で埋めようのない差分であって。またその一方で、おおもりさん(id:fuyutaro)の「ピーズ部(id:fuyutaro:20040407)みたく、それまでなんのつながりがなくとも「ピーズ」という唯一の共通項で突然何人もが太い線で結ばれたりもするように。


 なんか話が飛躍と肥大しすぎて収拾つかなくなってきてますが(またかよ)、つまり人と人との交流ってのはx軸とy軸の掛け合わせで、「付き合いが長くて共有してきた経験が多い」なり「短いけど、趣味とかで共有できる部分が多い」なり。で、その2つが両立すると最も強固な結束になる。と(あとまぁ「人間性」とかそういう、長く付き合ううえで決定的になってくるz軸)。

 そろそろ収束しつつある映画100選のゴタゴタとかを別に今更ぼくがこんなとこで蒸し返して口挟む気は全然ないですけど、ただまぁ今日こうして長々と書いたような思いをここしばらく、毎日ネットしながら頭の片隅でぼくは抱えつづけていましたよ。という話です。

 もし自分が何かの輪の外にいて、で、中の人たちに「俺らこんな仲良くて楽しくやってんだぜー。オラオラー」っつって(なんだそれ・笑)見せつけられたら、そりゃ確かに不愉快な気もするかもしんないけど。そうじゃなくて、別に排他的に構えるつもりもない、ただ趣味とか友達づきあいで普通に仲良くしてる人たちの交流に、一方的に「馴れ合い」とかいうネガティヴ・ワードをレッテル貼りして断罪するのは、それってやっぱ不健康っつーか。悪循環だよなぁ、とか。うん。なんかうまくまとまってないけどそんな感じです。