B.C.時代から同じことを胸を張って言えお前


 昨日、実家に帰ったんすよ。なんか今月アタマに名古屋へ配属されて一端の社会人やってる弟がね、荷物取りに日帰りで千葉に戻ってきてて。んでまぁちょっとした所用ついでにぼくも戻って少し喋ったりとかして。弟は2時間くらい滞在して「明日も仕事だし」っつって、すぐさまトンボ帰りだったんですけど。

 ぼくも基本的に無表情&無愛想な人間なんであんまし言えた義理じゃないけど、そんなぼくに輪をかけて奴は無表情&無愛想な人間なんですよ・・・てゆーか、そうぼくは思ってました。奴の泣いたりするとことか全然想像つかないしね。

 けどぼく以上に無表情&無愛想で、泣いたりするとことか全然想像つかないそんな弟が、たった2時間のリミットを使いきり、さーて名古屋に戻るっすか。ってときんなって突然、なんか少し涙ぐんだりとかして。たぶん彼はそれをぼくに悟られたくなかったろうし、うまく隠して悟られてないと今も思ってると思うんだけど、ぼくはしっかり気づいてて。それがなんか、たったそれだけなんだけど、すごく印象的な昨日だった。


 「3月は別れ」「4月は出会い」・・・そういう大雑把な分割線で、おそらく多くの人に認識されているであろう年度の変わり目。けれど3月に訪れたなんらかの別れを、月を1つ繰り越しただけで誰もが難なく消化できるほど実際世の中単純じゃない。新鮮さに浮かれてだけいれるってのは、実はけっこう幸せなことだ。思い返せば5年前のぼくも(そのときは気づく余裕もなかったけれど)きっと幸せだったと思う。

 人生19年めにして初めて実家を離れたぼくは、そうして入った寄宿舎の、あまりの強烈さ。新鮮さ。幾つもの出会い。荘厳なる歓待の儀式。今まで体感したことのない速度で目まぐるしく回転する毎日・・・そういう渦に呑まれるばかりで「寂しい」とかってロクに感じれる暇もなかった。


 そして4年後に寮を出て、去年の今頃。口うるさい家族もいない、賑やかすぎる先輩も同輩も後輩もいない、6畳半の部屋にたった1人の生活が幕を開けしばらく経って、そういえばぼくも初めてのその孤独にどう受け身を取って良いかわからず途方に暮れてたのを思いだす。そっか、あれってたった1年前だっけ。って笑い飛ばせる今の強さが、そのときのぼくにはほんの少し、まだ足りなかった。

 結局その強さをくれたのは時間で、そして途方に暮れながらぼくもそのことを最初から知っていた。どうせあと少し経てばこの孤独も和らぐんだよな。って、わかっていた。けど、わかってはいても、それでも待ってる時間はやっぱり辛くて苦しかった。

 熱病みたく一時的な孤独や、悲しみ、或いは怒り。時間はそういうのを必ず解決してくれるけれど、かといって即効性の麻酔みたく、辛い時間を早回しして誤魔化しちゃくれない。後になって振り返れば「たった一瞬」のその時間を、その何倍も長く感じながら耐えないと「後」へは進めない。熱病に耐え、匍匐前進みたくじりじりと、少しずつ時間の尺度を縮めていってほしいと思う。


 まぁ弟がこのサイトを見てるとは思えないし、かといって↑みたいな言葉を直接伝えれるほどぼくらは仲が良くもないので、代りに「さっさと初任給で俺を養えバカ」という非人道的なメールを送りつけたら「不能な奴は野垂れ死ね」と、なかなか素敵な返事が来たよ。

 「不能」って部分は、「無能」と書きたくて単に間違っただけなのか。或いは、より強烈なダメージをぼくに与えようとした意図的な狙いか。その判別に今頭を悩ませているところです。後者としたら、少し奴を見直す必要があるかもしれない。