同じ文化の違う世代よりも違う文化の同じ世代、そういう時代


 で、まぁそういう赤貧話は置いといて(どうも最近「留年」と「貧乏人」っていう、どう控えめに見ても哀れとしか言えないアイデンティティ2トップでキャラ付けされがちで困ってるよ! 主に mixi のせいで)買ったのは、DVD「Droppin' Lyrics」。

 2000〜01年9月11日にかけての、Shing02の活動を追ったドキュメンタリィ・フィルム。売り場で偶然目に止めるまで存在さえ知らなかったアイテムだけれど、知った途端に観たくなって、特に、何かと最近マイナス思考に陥りぎみな(あ。留年とか貧乏って思われてるせいじゃないですよ念のため・笑)ぼくの心を、きっとこの人なら蹴飛ばしてくれそう。って期待に煽られ、半ば縋る思いで衝動買い。


 ぼくはそもそもヒップ・ホップという音楽が正直あまり好きではなくて、邦洋問わず(主に日本のに、生理的に受けつけれないのが多いのも事実ですけど)殆ど聴いてないに等しい。ヒップ・ホップという形態じたいを否定する気は全然なくて、これはほんと、ただなんか「うわ。ダメ」っていう個人的な嗜好の問題。嗜好というか偏見に近いかも。

 サンプリングという手法で生み出されるへんちくりん(言葉が古い)なブレイク・ビーツは「あぁ。なんか面白いなぁ」くらい思ってたけれど、何より「俺がナンバー・ワンだ。もっと俺を見ろ。他の奴は全部クズ。○○とか聴く奴らは死んじまえ」的な、ひたすら攻撃性と自己顕示のみを前面に押しだしてぶつけてくるメンタリティがどうしても好きになれなくて・・・というか、まぁぶっちゃけ大嫌いで。

 このへんだいぶ偏見入りまくってますけど、とにかく聴きたくも思わなかったし、そんな中スチャダラパーを唯一好きだったのは歌詞がユーモラスであまり攻撃的に感じなかったからで、他のは十把一絡げに「鬱陶しい」で一蹴してた(勿論それはぼくの聴き方がマズかったり想像が足りなかったりしたせいで、実際はスチャダラパーだって自分らをナンバー・ワンと自負してやってるだろうし、ヒップ・ホップに限らずあらゆるアーティストがそうだろうし。そしてそれは決して悪いことじゃなく、ただ「どうそれを表現するか」という部分)。


 Shing02は、そういうぼくの「思い込みヒップ・ホップ観」を真っ向から打ち砕いてくれたほんと恩人みたいな人で、初めて観たのが2年前。2002年の Fuji Rock ホワイト・ステージ(「Droppin' Lyrics」には2000年に出演したときの映像も少しだけ収められているけど、まだその頃はShing02って名前すら確か知らなかった。ライヴも観てない)。

 第一印象は「うわ。ヒップ・ホップなのになんて腰の低い人だ」っていうのが正直な感想。「なのに」って部分に、当時のぼくの偏見が全て凝縮されてる(笑)けど、おかげでメンタルな敷居に邪魔されずスムースに入り込めたのも事実だし、そして、その40分程度のライヴ・アクトでぼくは心底打ちのめされた。

 ヒップ・ホップを心底カッコイイと思えたのも、ア・カペラで謳い上げられるライムに電流みたくビリビリ全身を貫かれたのも、そして(やや大袈裟かもしれないけれど)それまで自分にまるで相容れなかったヒップ・ホップという音楽を、なぜこれほど多くの人が共感し、共鳴し、必要とするのか、それを理解できたのも。思い返せば全部このときが最初だった。

 圧巻と、衝撃。世界の反転。


 無駄な(ゴシップ的な)攻撃性の一切が削ぎ落とされた骨太なリリックは、削ぎ落としたぶんの熱量をポジティブなメッセージへ昇華し、鋭い警句へ研ぎ澄まし、圧倒的な説得力と起爆力でぼくを思いきり殴りつけた。

 一見して腰の低く思えたその立ち姿は、なんていうか、きっと彼は自分の中のあらゆる信念なり、オーディエンスに伝えたい言葉なりを、たった1つのライムという武器だけで全て表現しきるつもりで(そして自分にはそれができる。という強固な自信や、バック・トラックを演奏する仲間への絶大な信頼に裏打ちされて)それ以外の部分で余計なエネルギーを撒き散らすことに意義を見出さなかったのだと思う。

 洪水みたく絶え間なく吐き出される言葉の数々は、聴き取って意味を理解するより先に次の言葉が押し流していってしまうので、その場で彼の投げかけたメッセージをぼくが100%受信できたかといえば正直そうじゃないけれど、でも、そういう一語一語を超えたところで、Shing02という人がぼくらに伝えようとしているメッセージ全体の宇宙みたいなものを、ぼくは確信とともにあのとき受け取れていたと思う。


 3日間の祝祭が終り、帰路。上野駅で仲間と別れた後、ぼくはくたくたの身体で大荷物を背負い、一刻も早く帰りたいのをそれでも無理して渋谷で下車し(そういえば今日と同じ)タワー・レコードで Shing02 の「400」というアルバムを買って帰った。


 そういえばあのときはステージから遠いところでライヴを観ていて、ぼんやりと彼の顔の輪郭程度しか視認できていなかったのを、それから2年越しの今日「Droppin' Lyrics」で初めて彼の顔を知った(遅い)。おとなしそうな普通の人だった。

 おとなしそうな普通の人が、

 ラップは語りだ。マイクで揺さぶる必要はない。自分の気持ちを語ればいい。そうすれば大きな一歩が踏み出せる。どんな形で自己表現するにしても、まずアイデアを口に出す必要がある。内容が過激でもそんなの構わない。語る言葉に力があれば誰かを感化するかもしれない。少なくともリスペクトされるはずだ。


 エネルギーが正しい方向へ向かっていれば、言葉は必ず、自然に出てくる。それは君の心の叫びだ。そこに観客は共感を覚える。彼らの協力を得て、大きなことができるかもしれない。人間1人じゃ非力だ。だから何かを始めるならどんな時も、声に出さなきゃ。頭で考えるだけじゃダメだ。信念を持ってやれば必ず伝わる。


 と英語で淡々と、けれど力強く喋るのを聞いてぼくは、例えばぼくが今はてなダイアリーでこういう文章を、さっきから物凄い時間をかけてゆっくり書いていることとか。他にも時々、思いだしたように自分の内面や主観をブチ撒ける長いエントリーを延々書くとか。そうでなく短い、他愛ないのも含めて、そもそもインターネットという場に自分の小さなスペースを持ち、毎日(でもなくなってきたけどね最近・笑)少しずつ言葉を積み重ねているとか。

 そういうのが決して無駄じゃなく、何かしらきっと意味を持っている・・・そんなふうに肯定してもらえた気がして、嬉しかったり、心強く思いました。