The High-lows / Do!! The☆MUSTANG


 ぼくはブルー・ハーツをリアル・タイムで聴いていた、というか聴けた、たぶん最後の世代(か、その1つ前)なので勿論、思い入れは強い。その頃から真島さんの掠れた声と、詩の圧倒的な叙情性が好きだった。ブルーハーツのベスト3を挙げるなら「平成のブルース」と「ハンマー」と「チェインギャング」・・・我ながら実にわかりやすい。と思う。


 ソロも含めればベスト・ソングは「アンダルシアに憧れて」で、これはもうぼくにとって別格というか、この先も一生聴きつづけるであろう大切な、大切すぎる曲の1つ。今までに軽く2000回は聴いたと思う。2000回、という数字が大きいのか、実はそれほどでもないのかわからないけれど。1日に100回くらい聴いた日も(大袈裟じゃなく実際)ある。確か中学3年生の11月の、日付までは忘れたけれど土曜日だったと記憶している。


 さて話は飛ぶ(というか本題に移る)が、ハイロウズ。すでに結成9年め、来年で10周年のアニヴァーサリーを迎える彼らほど過小評価されているバンドも滅多にないんじゃないかと思う。ブルー・ハーツの亡霊は、本体が消滅して10年近い未だくっきりと生きている。

 誰もが口を揃えて「ブルー・ハーツは最高」と言う。そして、その後を継ぐのは大抵「ハイロウズもカッコイイけどね」か、或いは「けどハイロウズはそこまでじゃないなぁ」の二者択一。「ブルー・ハーツも好きだけど、ハイロウズはもっと好き」という声をまったく聞かないわけじゃないけれど、やはりそれは圧倒的に少ない。


 ブルー・ハーツは歴史に残るバンドだった。それに値する衝撃を確かに彼らは備えていたとぼくも思うし、事実残っている。それを否定する気はない。優劣をつけたくも思わないけれど、ブルー・ハーツとの比較論でない「ハイロウズという単体」評がもっとあっても良いのになぁ。とは思う(ブルー・ハーツの解散と同じ1995年。解散を惜しむ声の上がりきるより早く颯爽と結成され、リリースされたファースト・アルバム「The High-lows」のフィナーレ「日曜日よりの使者」が、スポットを浴びるまでに要した数年のタイム・ラグが如実にそれを反映している・・・というのは、ややこじつけが過ぎるだろうか)


 現在までにハイロウズのリリースしてきたアルバムは(企画盤を除いて)8枚。「The High-lows」「タイガーモービル」「ロブスター」「バームクーヘン」「Relaxin' (with the High-lows)」「Hotel Tiki-poto」「Angel Beetle」、そして最新作「Do!! The☆MUSTANG」。

 余談ではあるが「タイガーモービル」「ロブスター」「バームクーヘン」・・・と続いて「リラクシン」の出るちょっと前、ぼくは「あと3〜4枚のうちにハイロウズは『ニトログリセリン』っていうアルバムを出すね」と予言し、「じゃあ俺は『サンダーボルト』だと思う」と対抗してきた友人と「当たったら、負けたほうにアルバムを買ってもらえる」権利を賭けていたのだが、その勝敗は今作でドローが確定した・・・ってごめんほんとに余談すぎた。


 閑話休題。ここへ至るまでのハイロウズ史には転換点が2つあって、1つは「ロブスター」〜「バームクーヘン」間に、オリジナル・スタジオ「Atomic Boogie Studio」を設立したこと。余分な制限の一切ないこの場所で、好きなときに集まり好きなように音を出す。という最高の環境を得たハイロウズが、その第1弾として完全セルフ・メイドでつくりあげた「バームクーヘン」は、それこそ初期衝動という意味でブルー・ハーツらしさをも備えた素晴らしい傑作だった。そしてこれ以降、彼らは安定期と呼んで差し支えないだろう無敵モードへ突入、立て続けに名盤を量産する。

 ぼく個人はやはり「バームクーヘン」が一押しで、身近で誰か「ブルハ好きだったけどハイロウズあんま聴かねーなー」などと言おうものなら「とりあえず『バームクーヘン』聴いてから言えコノヤロー」と、無理矢理CDを押しつける傍迷惑な真似を未だ凝りずに繰り返しているような奴だが、まぁそういう思い入れの差分こそあれ「リラクシン」「チキポト」「エンジェル・ビートル」はどれも横並びの傑作群と思う。


 逆に初期の3枚は「バームクーヘン」以降と比べて、明らかに見劣り(ならぬ聴き劣り)する。さっき「ブルー・ハーツの亡霊」という言葉を使ったが、個人的にハイロウズが未だ正当な評価を得れていない原因はこのへんにあると思っていて、つまり「あのブルー・ハーツの」という話題性が先行する形で、「とりあえず」聴かれた(≒消費された)のが初期3枚で、ハイロウズに「ブルー・ハーツ的な」リアリズムや過激さ。ドラマティックさ。青さ・・・まぁ言葉はなんでも良いんだけど、とにかくそういうのを強烈に求めていた人たち(の大半)が、この時期でハイロウズをいったん消費し尽くしてしまった(わかりやすく言えば、飽きた)んじゃないかと。

 そしてなんとも間の悪いことに、アルバムの制作過程全体(要は「全部自分たちでやる」スタンス)の流れを受け、従来よりプロモーションも圧倒的に少なく、オプショナルな話題性(例えば「ロブスター」のジャケットを松本人志が手掛けた。とかそういうの)も特になく、まさに裸一貫の状態で「バームクーヘン」はリリースされた。思うにそれは他ならぬハイロウズ自身の意図だったのかもしれないが、一聴するや否や「とうとう会心の一撃キター!」と狂喜乱舞したぼくはその後、予想を遥かに下回るリアクション(決して「内容が悪い」というんじゃなく、聴いた人は誰もが絶賛していたけれど、その数の驚くほどの少なさ)に心底がっかりしたのを覚えている。


 以降、スマッシュ・ヒット「青春」を挟み(そういえばこれも松本人志が絡んでるって今気づいた)世間的な評判はともかく、バンド的には脂の乗りまくっていたハイロウズが、次に迎えた2つめの転機が「エンジェル・ビートル」〜「マスタング」間の、key. 白井幹夫の脱退と、オリジナル・レーベル「Happysong Records」の設立。

 つまり今作「Do!! The☆MUSTANG」は、ハイロウズのバイオグラフィを章立てすれば「第3章」の幕開けを飾るアルバム。と言うこともできる(言ってるのはあくまでぼくが勝手に。ですけど)


 のっけからぶっちゃけると、過去4作ほどのインパクトはない。1人減っての再出発、そしてスタジオに次いでレーベルをも自らの管理下に置き、今まで以上の自由を得たハイロウズ。今作はその「自由」の大半が陽極方向へ集中した印象で、いつになくカラっとした明るい曲調や、のびのびした緩いサウンドの多い配分。

 宣伝広告的な言い方をすれば「聴き込むほどに味の出そうな佳曲揃い」とかそんな感じなんだろうけど、それはイコール「現時点では正直ちょっと物足りない」のと違わない。個人的にもっとガッツリした重いのが欲しかったし、そう思ってる人たちもたぶん多いと思う。シングル・カットもされた「荒野はるかに」で顕著なように、決して白井幹夫の脱退によりハイロウズサウンドから厚みや重みが失われた。というわけじゃない。このアルバムの方向性は、単に気分の問題だろう(そしてまた同曲で顕著なように、ハイロウズ特有の太いグルーヴや、聴いていてヒリヒリするスリリングな肌触りも未だ健在である)


 いずれにせよ「ハイロウズの全盛期は終った」と結論づけるには早すぎる、という印象をぼくは持った。勿論「こういうハイロウズのほうが好き」って人もいるだろうし、ぼくだって今後何度も聴いていくうちに「やっぱマスタング最高」とか言いだすかもしれない。ただ少なくとも、ここ2週間くらいヘヴィ・ローテーションして思ったのは(白井幹夫の脱退をマイナス。と受けて)まだ完全復活ではないな、という過渡期的な手応え。

 これもシングル・カットされたけど「砂鉄」という曲があって、その中の


   「僕は砂鉄 君は磁石 君のなすがまま」


 という一節は、真島昌利の孤高な詩才が依然健在であるのを知らしめる完璧な証左と思うけれども(誰でも書けそうで、こんなの誰にも書けない。これをメロディに乗せれるのは真島さんだけだし、歌えるのは彼と、そしてヒロトさん以外にいない)この詩は、もっと内向きな音の上で、もっと切実に歌い上げられて良かったと思う。なんていうか、勿体ないと思った。言葉は悪いかもしれないけど。


 それでもぼくは、これからもハイロウズを聴く。次のアルバムを待ちながら「バームクーヘン」と「マスタング」を聴く。勿論、合間にブルー・ハーツも聴きながら待つ。ライヴにも行きたい。そしてヒリヒリさせられたい。「ロックは死んだ」と言うのも「ロックはまだ死んでない」と言うのも、どっちももう長い間使われつづけて食傷ぎみな言葉だけれど、彼らの音を聴いていると「まーどっちでもいいやそんなの」って思えるところがずっと好きだ。