音楽


 勝井祐二さんのヴァイオリンについて書くときぼくの絶対いつも使う言葉があって、それが「魔法」っていうのなんですけど、ほんと今まで何回も何回も同じことばかりしか言えなくて恥ずかしいけど、でも本当に勝井さんのヴァイオリンには魔法が掛かっていると思う。


 昨夜。なんだか寝つけなくてプラネテス(の、アニメ版のDVD)を深夜までずっと見ていて、部屋の電気を消して、真っ黒の部屋で、音もヘッド・フォンで聴きながら見てたらグッときちゃって、それでぼんやり宇宙とかそういうのを考えてるところへ連想で Rovo が浮かんで、そしたらあれ? そういえば明日ってちょうどライヴじゃなかったっけ? と思いだして、確認したらやっぱりそうで、今日はアルバイトが夕方で上がりだったので「あ。こういう思いだし方とタイミングの完璧さは、つまり天啓っていうやつだ」って瞬時に思った。

 当日券が残っているかどうかも調べずに行った渋谷AXで、ちょうど今日が雨だったせいもあったと思う、もうそれほど多くなかった当日券の、最後から何枚めかを買えたのでやっぱり天啓だったと改めて確信し、ビールを飲む。


 率直に言って、今日は「泣きに来た」つもりだった。最近ちょっといろいろ鬱々なことが多くて、気分も沈みがちな日が多くて、そういう今、勝井さんのヴァイオリンを聴いたらきっと自分は泣くと思った。泣く、というか「泣ける」と思った。それはきっと甘えなんだろうけれど、なんであれとにかく泣いてしまえば少しは軽くなると思って、そういう、すごい女々しい感情を抱えてぼくは雨の中、渋谷へ出てきたんだった。


 勝井さんの、というか Rovo の、魔法はけれどそんな程度のものじゃなくって、落ち込んだ気持ちを「軽くする」っていう段階をすっ飛ばして、一気に最上段へぼくは持ってかれて、気がつけば最高に楽しくて大笑いしながら全身で踊りつづけてた。渋谷AXのモッシュ・ピット(って言うのかな? わかんないけど、ステージ付近の客席前方)にはライヴ前から甘い匂いが漂っていて、勿論ぼくにそんな用意は(時間的にも、経済的にも)なかったんだけど、ライヴが始まって何曲か終っていったん演奏が止まったとき、隣にいたお兄ちゃんに「ねぇ、良かったら分けてくんない?」って肩を指で叩かれた。

 ぼくが「や、持ってないけど」と言ったら彼は「そうなの?」と言って、で「すげーイッちゃった顔で笑いまくって踊ってるからてっきりそうだと思ったわ。ごめん」と言って、ぼくは「あー俺そんななってたのか」と少しだけ恥ずかしく思ったような気もするけれど、でもそのときは Rovo の音の幸福感と、良い具合に回ってくれていたアルコールで「まーでも全然別に良いや」って思って、また次の曲が始まったらそんな感じでへらへら踊ってたんだと思う。


 セット・リストは「1曲めと最後の曲が確か知ってる曲のどれかで、あとは全部知らなかった」というくらいしか覚えてなくて、で Rovo の音は、全体的に今までより丸くなったというか柔軟になったというか強靭になったとかそんな感じの、リズムの打ち方が今までとだいぶ違ってた気がする。んだけど、あんまり細かくわからないけど、とにかくまだまだ Rovo の音は「動いて」いて、日々変化していっていて、今日のは今までみたくガツンとまっすぐハードな感じっていうよりもうちょっと緩やかで、しなやかで、ぐにゃぐにゃしていて、けど緩みきっては勿論いなくて、なんだろう、なんていうか多面的な? もっと今までより纏わりついてくるような感覚が、ものすごく気持ち良かったのだけ覚えてる。

 音の「渦」っていうより「網」みたいな、その網に絡められていくような気分で、けどまぁそんなのもあんまりどうでも良くて、とにかく、ただ、その音の網に絡められていられるだけで最高に幸せで、良い気持ちで、あとはあんまり覚えてないです。


 だからそういう、いろいろ全部を含めてつまり「魔法」なわけで、やっぱり勝井さんは魔法使いだったのでした!

 こういう人が、こういう音楽が、手の届くところに存在してくれている、ただそれだけで、それはとてもとてもとても貴重で、素敵で、幸せで、素晴らしくて、それだけでもう十分すぎるくらいと思った。ぼくは Rovo を語るときに良く使われる「トランス・ロック」っていう形容がすごく嫌いで、けっ。なんだそれ。っていつも思ってるんだけど、でもそんなのも実は全然どうでも良くて、名前なんて全然。


 ただ、あの美しい音楽さえあれば。