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 三田祭が今日で最終日らしい。

 今年も当然のように期間中、三田キャンパスの半径5km以内には一切近づくまい。と思っていたら「卒業アルバムに載せる集合写真を撮るから来い」と呼びだされ、2日め(21日)の、夕方6時頃、その狂乱の渦中へ飛び込まざるをえなくなった。


 すでに宴も酣な時間帯、訪れたキャンパスでぼくが見たのは「地獄絵図」以外に形容の言葉がなかなか見当たらない、とにかく壮絶な風景でした。単純にむちゃくちゃ人が多い。正門を1歩入った途端、気分はもう戦争であって、狩人と獲物が所狭しと犇いている。早くも息苦しくなり、踵を返して退散したい衝動に駆られる。駆られまくる。

 基本的に期間中、キャンパス内に存在するのは「狩る者」「狩られる者」「狩りたがる者」「狩りたがられる者」の4人種に、プラス「酔っ払い」と「係員」くらいのもんである。上記6タイプのどれにも該当しない人間に居場所はない。5m進むのに最低2回はぶつかられるほどの混雑を呈する過密地帯をどうにか抜け、階段を上り中庭へ出る。


 そこはもう更にとんでもなくすごくて、なんていうか、もうわけわからん。一角に「中庭特設ステージ」なる突貫工事のお祭り舞台が設置されていて、ぼくの着いたとき、そのステージには今にも床が抜けて崩れ落ちるんじゃないかっつーくらいの大人数が、あれ100人とか余裕でいたんじゃないかな、ぎゅうぎゅう詰めんなって密集し、モーニング娘。のなんだっけ、曲名忘れたけど有名なやつのカラオケが流れてて、それに合わせ全員が踊り狂っているのだった。

 それはもう「イナバの物置 in 三田」としか思わずにいれない光景で、どうですお客さん。一見弱々しく見える突貫工事のこのステージ。だけどほら! ご覧の通り、100人乗って踊り狂ってもビクともしない頑丈さ!・・・そんなナレーションが今にも聞こえてきそうなくらいだったが、しかし実際に聴こえてくるのはモーニング娘。のなんとかいう曲と、それに合わせ「ヒュー」とか「ウホー」とか、もう発言がパンツをはく文明人の発言じゃねーよ。裸で槍をもって野を駆ける人の発言だよレベルの奇声。嬌声。叫び声ばかりであった。


 三田祭と言えば1972年。後にリリースされる実況音源にその名がそのまま冠された伝説のライヴを、村八分が行った聖地としても知られるが(主に俺に)その伝説はすでに風化し、伝説の「で」の字の濁点の片方すら残らぬ徹底ぶりで、混沌たる新世界に塗り変えられていましたよ。おわり。オチなどない。