おいおいそんなことより聞いてくれよ。大学入学と同時に千葉の実家を出てもう7年が過ぎましたけど、8年めにしてとうとう俺は「部屋に電子レンジのある生活」を手に入れましたテクノロジー万歳。8年めにして科学のあけぼの。電子レンジでチンしてみれば文明開化の音が・・・する? した! 肉じゃがあったまった! すげー! 何がすげーって27歳社会人男子が21世紀も6年めにして電子レンジごときで大騒ぎできる神経がすげーっつーか無駄きわまりないハイテンションうぜー! 死ね!


 そんなこんなでめでたくセレブに一歩近づいた私が喜び勇んで近所のスーパーで「肉じゃが できたてあつあつ 1パック300円」を買ってきて、わざわざ冷蔵庫で1時間ほど冷やした後にレンジでチンして「あつあつだー!」とか文明開化ごっこしてる間に Cornelius の先行シングル第2弾「Breezin'」がいよいよ間近に迫っていますが、さて、第1弾「Music」をここ1ヵ月ひたすら聴き倒しながら、ぼくが来るアルバム「Sensuous」をどれだけ心待ちにしてるかについて少し書きます。

 タイトル・トラック「Music」を、8月25日、渋谷のタワレコの2階で買って、1階へ下りるエレベーターでさっさとビニールを破り CD ウォークマンに突っ込んで、帰り道、わくわくしながら何回か続けて聴いた時点でぼくの「Sensuous」への期待は一気にメーター振り切ったといって過言じゃない。これを1発めに切ってくる時点でもう名盤しかないだろ、って思った。東横線に乗った頃にはもう名盤は確定してます。


Music CorneliusMusic


 一言で言えば「Point 2」だ。けど勿論「Point 2」ではない。「Point」の延長線上に聴こえるけど、明らかにただ引き延ばしただけじゃない。単なる継続でない、さらに展開/深化した新しい音。劇的ではないが、確実な進化・・・といった印象。ほとんど「Music」は完璧に、ぼくには思えた。ソロ・デビュー直後の小山田さんが「First Question Award」「69/96」「Fantasma」・・・と1年ずつの短いスパンで毎回ことごとく別世界なアルバムを連発してたのを思い返せば、5年もの間を置いて世に問う新作が「Point 2」では少し意外かもしれないけど、そんなのは全然問題じゃない。というより、ぼくは「Point」が死ぬほど好きなので大歓迎。5年間、飽きもせず延々聴いてきたアルバム。これまた大袈裟で安易な言い方だけど、21世紀最初の名盤だと思ってる。

 「Point」は、とにかくあらゆる贅肉を削ぎ落とし、かつ「ポップス」として成立するギリギリのラインでシェイプされたアルバムだ。何かのインタビューで小山田さんが「三角形でいう重心のような、全体を支える一点にのみベースを置いてる」といった内容の発言(細部はうろ覚え)をしてたけど、まさにそうで・・・というか制作者本人が言ってんだから当たり前ですけど、ベースの使い方がすごい刺激的(音数の少なさと、にもかかわらず印象の強烈さ。例えば「Smoke」という3曲めを聴けば「重心」という表現が実にわかりやすく感覚的に伝わると思います)だったり、かといって「現代音楽」に片足の先くらいは突っ込んでそうだけど全身まで浸らないギリギリんとこで、起伏の少ないメロディーと、ほんの僅かに装飾音が残ってる。


 あまりちゃんとした分析はできないので、あくまで感覚的な物言いになってしまいますが、では「Point」と「Music」の一見似ているが決定的な違いは何か、というと「音の柔らかさ」じゃないでしょうか。簡単に言うと、ふんわりしてる。ふんわりしてて、なんかカラフル・・・って、ほんとこんな表現しか出なくてすいません。「Music」は、おそらく「Point」でいう「Drop」に当たる位置づけの曲かと(あくまで現時点での)推測しますが、それほど極端に音数の違うわけでも、一音一音はかなり印象の似通った気さえするのに、けれど全体として1曲になったとき「Music」はずっと手触りが柔らかい。

 これが単に「音色をちょっと柔らかくしてみました」っていうだけなら、それは進化というより変化、或いは「Fantasma」→「Point」で音を削っていったんで今度は逆に足してみました、な反動どまりかもしれませんけど、「Music」に感じる柔らかさはそういうのと少し違くて、「Point」が音を削って削って、そこに「隙間」の響きをつくりだす作業だったとするなら、そこからさらに一歩進んで「Music」は、その「隙間」に色や温度を注すところまでいけた曲じゃないか、と。だからこそ変化でなく進化であり、「Point 2」であって「Point 2」じゃないと思うのです。


 それから4曲め「The Star Spangle-Gayo」について。の、ほんの短いギター・パートの後、最後の音が30分以上うおーーー・・・ーんと延々鳴りつづける部分について。これはぼくも最初「うわ、またやったら延ばしてんなー」程度しか思わず、さくっと1曲めに戻してましたが

 地下生活者の日記 − 猿の惑星の逆襲 (id:subterranean:20060823
 同 − 「The Star Spangle-Gayo」よ永遠なれ (id:subterranean:20060824

 ↑こちらを読んで「俺が悪かった!」と速攻で土下座しました。「Music」買ったけど同じく4曲めをさくっと飛ばしちゃう(おそらく大多数の)悪い子たち必読。これを紹介してしまうともはや俺風情になんの発言権もなくなってしまいますけど、こういうふうに「聴き方」を変えるだけで、同じたった1音の30分が、ただの退屈から途端に刺激あふれる濃密な時間へ早変わりするのだから音楽は深いです。俺もこういう聴き方をしたいです。そしてこういう聴き方ができると、よりいっそう音楽から抜けれなくなるんでしょう。そして小山田さんは、きっとそこまで考えてこのシングルに「Music」のタイトルを冠したのでしょう。そして俺はいいかげん深読みとこじつけしすぎなので気をつけましょう。


 ともあれ見事な評を読ませてくださった subterranean さんに感謝。なお蛇足ながら、ぼくの「うわ、またやったら延ばしてんなー」という発言の「また」の部分は、過去に似たようなのを Cornelius で聴いてたからです。「Typewrite Lesson」という、「それではタイピングを練習しましょう」「はい、F・B・I」「C・I・A」・・・とか延々やってるタイトルまんまのふざけた名曲ですが、これもレッスンは5分程度で終了した後、ビートだけが残って10分ほど鳴りつづけます。

 左右で交互にどん、どん、と緩いリズムが刻まれているのと、中盤らへんで高音部がひゅおおおん、とレコードの回転数を落とすように消え、そこからは低音だけが残る・・・といったふうに「The Star Spangle-Gayo」の、単音をひたすら延ばしていくのより動的な変化は多いですけど、狙いとしては近いですよね。プロトタイプと言えましょうか。「Typewrite Lesson」のコレを、より極端に研ぎ澄まし、洗練して昇華してみせたのが「The Star Spangle-Gayo」のアレなんであれば、「Point」で初めて方向転換したわけじゃなく、小山田さんは「Fantasma」の頃からすでにこういう音に向かってたんだなー、とか考えていくと興味深いです。