エヴァンゲリオン風に受験を語るスレ


 「新しく何かを始める」のって存外大変なことであって。

 別に2ちゃんねるに限った話じゃなくて。というかむしろそれはあらゆる文化に共通して見られる法則なり傾向であって、2ちゃんねる文脈もそれに則って形成されている。と見たほうが正しいと思う。


 文化の発生なり派生を考えるうえで、どこかでぽつりと始まったものがじわじわじわじわ時間をかけて慎重に慎重に。丁寧に丁寧に。その土壌を育んでいき、だいぶ経った頃んなってようやく固定され安定化する。ってパターンは少ないと思う。それじゃきっと遅すぎる。たぶん実際はもうちょっと荒っぽい。水や肥料を土に撒きたいと思わせる原動力たる「何か」を獲得しそこねた文化は、残念ながら開花するより早く費えてしまうしかないだろう。


 消費者は飽きっぽい。そんな長く待ってはくれない。好奇心を放られた時点で素早くそれを打ち返せないと、次のチャンスが回ってくるには時代を1巡待たなきゃいけない。ド真ん中のストレートを見逃して良いのは2回までだ。4球めはない。

 現存するあらゆる文化は、その条件をクリアしたからこそ(たとえ現状がどうであれ)ひとまず存続を許された。つまり文化が存続するには黎明期に最低1発の核弾頭が不可欠だ。もしそれがなければ、「満を持しての遅咲きの1発」がセットされる頃には母体そのものがとっくに廃れてなくなってる。ビートルズ然り。手塚治虫然り。チャップリン然り。


 例えばラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが1978年に出会っていたら、彼らは1988年に「マン・マシーン」を完成させられただろうか? 歴史の文脈にifを持ち込むのはご法度だけど、そのうえでぼくはできなかったに違いないと思う。なぜなら彼らの出会いが現実より10年遅ければ、1980年くらいの時点でテクノはすでに「終りかけ」、或いは「終ってた」ろうから。そしたらアフリカ・バンバータも「プラネット・ロック」をつくれなかった。そしたら今頃エミネムは、エレクトリック・シックスの6人めのメンバーやってるかもしれない(ここらへんはまぁ完全にご法度の範疇だけど・笑)。

 「ひとまず存続を許された」文化が開花するにはもう1つ。後続がうまく先達の遺産を受け継がないといけない。ここでミスると結局「1発きりの打ち上げ花火」止まり。テクノと対比させて言うと、ちょうどトランスなんかがその典型(と・ぼくは個人的に思ってる)。


 前置きがやたら長いうえ脱線しまくっちゃってるけど、要はそんなのを考えながらこのスレッドを見てました。

 注目してほしいのは >40、145、161、173。


 黎明期に見事・核弾頭を打ち込んだ好例が40氏。これはもう文句なしに素晴らしい。

 少し遅れて145。これは元ネタをぼく知らないんでなんとも言いづらいんだけど、なんとなく亜種みたいなもんでしょうか。知ってればそれなりに笑えそうだし、ラストにちょっとしたアレンジ施してるのも加味して及第点は取れてるかな。たぶん。

 そして遺産を継ぎそこなった161と173。一読してもう露骨に焼き直し。おまけに画質も劣化しまくり。161の時点ですでに相当痛いけど、中途半端に良いとこばっかつまもうとしてエヴァのオリジナル・タイトルとの韻まで崩れちゃってる173の本末転倒さなんか見てらんない。これがトドメを差した形で、現時点(350くらい)まで誰も後に続いてないし今後も現れないと思う。たった4つで、1つの文化の発祥から終末までの見事な縮図を体現してるなぁ。っていう見本。


 例えばね。この順列を逆にしてみたらどうだろう。つまり(173みたいのは論外として)まず161が創造主として先陣切って、その発展形として41が来ていたら。という仮定。あくまで想像でしかないけど、そしたらきっと、だいたい同等くらいの敬意が両者へ向けられてたと思うんだよね。或いは先行優位性で161のが上かもしれない。でもって41以降、あと何人かは多かれ少なかれ後を継いだろう。けれどその場合、創造主たる161が「神」の異名を授かるまでに至ったかっつーと、どうもそうならないのは確実に思える。

 このスレッドん中で41氏は実際「神」って呼ばれてる。ビートルズクラフトワーク手塚治虫チャップリンも(程度に差はあれ)神とか王様とか呼ばれる。それは彼らを「誰よりも最初に」「しかもすごいのもってきた」っていう2つの軸の掛け算で見た評価の結果だ。タイミングとグレードのどちらが欠けても天上人へは届かない。何もこれらの分野に限った話じゃなく、すべからく文化とか芸術ってのはそういうふうにできている。


 たかが2ちゃんのスレ1つごときで考え過ぎ。って突っ込み却下。「過ぎ」が「杉」なら問答無用でノー・タイム・リジェクト。

 以上、放談でした。