スラム・ダンク、レベルE (1/5 ×2)


 まだ井上さんが成合さんだった頃に、他の人の脚本でやってた「カメレオン・ジェイル」って漫画がなんか好きで。ラスト前3回めまでは別に可もなく不可もなく。って感じで普通に読んでたんだけど、最後の2回が無性に好きで。

 その直前まで「ウォーキング・マドンナ」(だったかなぁ。さすがに確信がない)っていう全6回(くらい。たぶん)から成る作中最も長いストーリーが続いてて、位置づけ的にもメインっつーかクライマックスなんですよ。で。なんか最後の最後に消化試合みたく前後編の2回から成る「泣かないDaddy」(これはたぶん合ってる)って小品があって、おしまい。つーか打ち切り(これはたぶんどころじゃなく確実・笑)。


 けどその終り方が当時のぼくには新鮮で。まだジャンプのリアル・タイムのやつ以外に他の漫画なんて何一つ知らない頃だし、そういう中であの終り方は確かにちょっと普通じゃなかった。「ウォーキング・マドンナ」であと2回ひっぱってどーんと終ればきっとぼくも気に止めなかったろうし、それがいわゆる王道っつーか。大往生にせよ打ち切りにせよ、ぼくの知る限り漫画は「そういうふうに」終るはずのものだった(それは別に昔に限った話じゃなくて。今だって大半はそうだし、テレビ・ドラマとかにも通用する構造)。

 この作品で知った「最後にちょっとした小話を置いてゆっくりと終了」という終り方と、その余韻の心地良さ(要するに後戯だ・笑)っていうのが、一見どうでも良さそうで(ぼく自身「カメレオン・ジェイル」が物凄い傑作。とはやっぱり思えないし)けれど、ぼくの嗜好をけっこう大きく決定づけた印象が個人的にあって。「幽遊白書」のどこが好き? って言われて真ッ先に「ダントツで19巻」て答えるのも、遡れば発端はここだと思う。「花咲ける青少年」のルマティの演説シーンは何回読んでも泣けるし名実ともに最高の見せ場だと思うけど、そのうえでぼくが「花咲ける」を愛して止まないのもやっぱり同じで、最後の最後で伏兵・ツァオが予想外の反旗を翻す件で「うわぁーこうくるか」っていう。初読んときに経験した裏切られ方がとても気持ち良かったって部分が大きい。


 「幽遊白書」終盤の画面の荒れは、子供心に「うわっ。な、何事?」と思わせるに十分な危なっかしさだったけど、富樫義博の真骨頂である「省略の技法」が確立された(されつつあった)この頃から急激に読むのが楽しくなっていった思い出がある。消費物として読み流すぶんには「ん? え?」って勿論なるんだろうけど、正視して取っ組み合って読むうちにミッシング・ピースがかちっ。とハマったときの快感。それを教えてくれたのが天下一武道会終了後の「幽遊白書」の、画面の白さを補って余りある新しい形の魅力だった。


 井上さんになった成合さんは「ゴメンなさい桜木君」の名イントロダクションとともに傑作「スラム・ダンク」の幕を開け、そこからはもう開花としか言い様のない加速度的な進化を遂げる。小気味良いギャグとテンポに裏打ちされた「ハイスクール青春スポーツ群像」として始まったかの傑作は、やがてその土台を踏襲しつつも軽々と飛び越え、芸術に化けた。漫画にサイレントの技法を持ち込んだのはおそらく井上雄彦がパイオニアではない(と思う)が、あのレヴェルまで高めた殊勲はやはり彼の手中に収まるべきだし、そういうのを差し引いてもぼくらの世代が初めて触れる画期的な映像美だった。「戻れっ! センドーが狙ってくるぞ!」 静寂の世界に最初の音が落ちる瞬間を、あのときぼくらは確かに見た。

 山王戦に漲る90年代最高のダイナミズムについてはあえて触れるまでもない。

 個人的にはメガネ君の3Pがネットに吸い込まれると同時にフラッシュ・バックするあの瞬間がいちばん好きです。あとやっぱり笑いの要素が最後の最後の直前まで手を抜かれず冴え渡っていたこと(あの流れの中で「北沢」って書けるのを見てこの人は超絶だ。と思った)とか、湘北ベスト5+補欠要因メガネ君。が出揃って以降も安田とか角田がちゃんと画面内にいつづけたのも大きいと思う。神奈川ベスト5に神が入ってたのもそう。設定が行き届いてるというか、主観と客観が常に両立されてて隙がない。


 「レベルE」は作品論を据え置いて、まず連載形式でジャンプ史上に大きな楔を打ち込んだ点で特筆されるべき偉業だと思う。萩原一至が一歩手前ぎりぎりで存命し、桐山光侍が哀れ藻屑と消えた「鉄壁要塞」ジャンプの牙城を切り崩したのは間違いなく富樫義博だ。おかげでぼくはそれまで知らなかった「待つ苦しみ」を知ることになったが、その見返りに得られる「レベルE」の圧倒的な面白さを前にしてとても文句など言う気になれない。

 最後の最後で余興程度に付けられるまで名前という初期装備すら与えられない主人公(欲を言えば最後まで称号だけで貫き通ってほしかった。というのが本音ですが)。極限まで圧縮された超高密度の情報量。見開き2ページに延々と王子の日記が文字のみで展開されるありえなさ。「幽遊白書」中〜終盤で萌芽した省略技法の完成形。富樫義博の真骨頂は間違いなくここにある。「Hunter×Hunter」の序盤でそれを少し和らげ、わかりやすい方向へ持ち直したかと思いきや、やっぱり幻影旅団とかグリード・アイランドでああいうふうに「回帰」したのは殆ど必然だと思う。