am@実家です。
 自分のサイトすらロクにフレーム・インしきれない化石じみたOS(win95)の、狭い画面で今これ書いてます。


 4年に1度のレアな日。1461分の1という確率で訪れる、さながらボーナス・トラックとでも言うべき今日は、ボーナスゆえにあらゆる一次的生産力を機能停止し、何も生みださず無為に一日を費やしてこそ本懐であろう。という誤った結論に残念ながら行き着いてしまったぼくは、スノー・ボード・ウェアの返却もかね再び帰省し、弟の不精により未だ片づけられず放置されている炬燵に横たわり、日がな一日漫画を読み耽ってじき3月を迎えつつあります。

 弟の粋な計らいにより「ドラゴンボール完全版」という、一日を無為に費やすのに絶好のアイテムにありつけたので早速賞味にかかったのですが、それにしても今改めて読んでみるとこの、1冊ごとに強さの標準値が鰻上りにリロードされつづけていく長期連載の、通し読みしたときに感じる胸焼けするようなくどさと息苦しさ。これに尽きます。

 前回(1週間前)の帰省時には「幽遊白書」を同じく通し読みし、まったく同じ感想を抱いたわけなのですが、妖怪のランクが何級だとか。界王拳が何倍だとか。一旦そういうのを言いはじめると途端に発動するその後の倍々ゲームは、これらが栄華を極めたバブルという名の時代背景に似て、すぐさま何人にも手のつけられなくなる、まさしく魔性じみた動力であるのを痛感せずにいられません。

 何より驚くべきはそれらを通読することによって浮かび上がる、誰よりも早くその属性を把握し、看破し、別の動力で作品を推進する「スタンド」なる理念の発明を80年代終盤という半ば信じがたい黎明期の段階で既に遂げていた荒木飛呂彦氏の先見の明に他ならず、これによって2度にわたる今回の帰省は、ぼくの先日投票した「獄門島漫画祭」への投稿文を図らずも裏づけてくれる貴重なデータとなりました。


 また血を分けた肉親との友好に於いては、アト・ザ・ドライヴ・インだのレディオヘッドだの「マソソソ・マソソソ自伝」だの未だ硬いシコリの残る弟のCDラックに危惧を見出し、キャプテン・ビーフハート勝手にしやがれダヴィングさせてやりつつ傍らで「デカダンス・ピエロ」を熱唱。という彼の迷惑とかを一切度外視した粋な計らいを恩返すことで、例えばこの世に「良い兄」と「悪い兄」の2種類の兄しかいないと仮定すれば、まぁ辛うじて「良い」ほうに含めてやっていいかな。程度の兄っぷりをプレゼンテーションできたのではないか。と思っております。


 さて。この反応速度が極端に遅いうえ、未だダイアル・アップで接続しているPC環境でこれ以上長い日記を書くのはいろんな意味で限界に来ていますので、これからまた炬燵という名の忘れられた楽園へ戻り、もうフリーザが出てきた辺りでいい加減ドラゴンボールは飽きたんで、次は甲斐谷忍の「ワン・ナウツ」でも読みつつ夜を明かす所存であります。

 ちなみにドラゴンボールはピッコロ(新)が悟飯をかばって死ぬシーンと、ヤジロベーがベジータ猿の尻尾を切り落とすとことかやっぱ今読んでも感動的なんだけど、それ以上にベジータとナッパの襲来に備えたホワイト・ヘアード・デビルばりの鬼しごきの最中・満月で大猿に変身してしまった悟飯の爆裂っぷりを見たピッコロが、思わず叫んだ「こ・・・これではサイヤ人が来る前に地球は壊滅だ!」がぶっちゃけいちばん面白かったです。や。ほんとそれだったら最高に笑えんのにな。