出会う人は、その声返す鏡のように。


 リファを飛ばしてくれたid:soraniさん経由で、高橋源一郎公式サイトの存在を知る。日記の日付から見て、どうやら今年の1月1日にオープンしたばかりらしい。ってことはプラネタ(本家)とちょうど同じ誕生日だ。単なる偶然に過ぎないのは承知のうえで、それでもなんか妙に嬉しかったり。


 これだからインターネットは面白い。id:soraniさんは「キーワードのくるりから『アンテナ』の評判を調べてい」る途中、一応「アンテナ」に触れてはいるものの、批評どころか聴いてもいない奴の書いたこのページに漂着した(してしまった。というべきか。どちらにせよ期待外れでごめんなさい・笑)。

 そのリファを辿ったぼくは、そこで過去何度探しても見つからず終いだった(当たり前だ。何しろ去年まで存在していなかったのだから)高橋源一郎さんの公式サイトと遭遇する。くるり経由で来たid:soraniさんも、まさかぼくが2年前、高橋さんが半年間だけ慶應大学で教鞭をとった「現代芸術」という授業に参加し、そこから物凄い影響を受けている。なんて知る由もないだろう。


 あたかも「スタンド使いが互いに引かれ合った」かに思えるこの邂逅は、まぁ結局のところ偶然じゃん。と切られれば否定はできない。けれど例えば「高橋源一郎公式サイト」と「プラネタリウム」の誕生日が同じ、という単なる偶然以上の何物でもない偶然と比べて、それよりほんの少しだけ必然性の高い偶然――そうぼくは思うし、そうあってくれれば嬉しいと思う。

 「単なる偶然」よりほんの少しだけ確率の高い「こういう偶然」の、それに出会えたときの喜びや心地良さを知ってるからこそ、未だにぼくは(手を変え品を変え・笑)サイトを続けているのかもしれないですね。