怠惰人類補完計画


 昨日の話のつづきです。また同時に2月19日のつづきでもあります。


 id:amn:20040219でカット・アップ(てゆーか要は放置・笑)してしまった「ぼくの学生時代に得た最も大切な収穫の1つである、学ぶことの楽しさを教えてくれた3人の恩師の話」ですが、その1人である高橋源一郎さんの名前がちょうど昨日出たこともあり、今頃んなって補完する意味で、彼の授業にまつわる思い出みたいのを書いてみようと思います。


 そもそも「現代芸術」は荻野安奈(作家名は荻野アンナ)さんのトータル・コーディネイトする文学部の科目で、とはいえ彼女自身は毎学期・第1回めの授業時に「今期はこの方です」と講師を紹介するとともに、マヒャド級の親父ギャグを連発し教室を氷河期に陥れて去っていくのみで、その後は半年間、彼女の人選で学外から招聘された講師が各々自由に授業を行います。

 ぼくが4年めの3年生だった2002年度。春学期を担当したのが高橋源一郎さんで、その内容は前2001年の「日本文学盛衰史」を汲み、また授業期内の2002年5月に刊行された「一億三千万人のための小説教室」とリアル・タイムに並行する形の、つまり「貴方の小説を書きましょう。その書き方の第1歩として、まず明治文学の古典を真似してみましょう」というものでした。

 具体的には毎回高橋さんの指定した対象を読み、その作品を「今の言葉」で自分なりにリメイクする。それを宿題として提出し、その中からピック・アップした幾つかを実際に授業内で紹介しつつコメントを付ける、という形です。


 文芸サークルに在籍していたぼくは当時「音楽みたいな小説を書きたい」とか抜かしつつ、半年に1回刊行されるサークル誌に自作を発表していました。まぁネタばらしするまでもなく「音楽みたいな小説」ってのは岡崎京子のまんまパクリなわけですが(笑)、ともあれ「音楽みたい」を謳う以上、音楽の手法もどんどん使ってこう。と目論み、実際に自作で「小説のリミックス」を試みたりしてた。

 個人的に「これは前衛的だろ」とか思ってた(あの。あくまで当時ですからね。調子乗ってましたすいません)この試みが、実際は前衛的でもなんでもなく、ずっと昔から当たり前に行われている現実にブチ当たったのはその直後。つまり他ならぬ高橋さんのこの授業で思い知ることになるわけですが、とにかく「今の言葉で書いてみなさい」という課題の意味するところはすぐ見当が付いた。「あ。つまりリミックスすれば良いのね」って。

 と同時に、当時まだ「作家としての」高橋源一郎を知らず(なんかこんなんばっかだなぁ・笑)、あくまで「うるぐすのオッチャン見てみるか」的なミーハー気分で(ほんと失礼きわまりない)覗きに行った初回授業で「あ。この人の授業は絶対面白い」って直感した。


 第1回の宿題は「舞姫」で、学事日程の都合で翌週が休講だったため提出〆切は2週間後。その2週間の殆ど全てをこの課題のみに費やした。といっても過言でないくらい、ぼくは全力投球でこれに取り組んだ(と思う)。

 てゆーか仮にも文学部生で、挙句文芸サークルなんぞに身を置いてる分際で普段ぼくは漫画一辺倒のダメ生徒なんで(笑)そもそも明治文学なんぞロクに読んだ試しがない。というわけで課題はまず「舞姫」を買って読む、という文字通りゼロからのスタートでした。


 で、読んでみたらね。つまんないんですよこれがもう。「こ、これが古典? 名作なの? マジで?」って思った。そんで課題の対象範囲は任意。1ページぶんだけでも全然かまわない。ってことだったんですけど、なんか当時ぼく闇雲にエネルギーがあり余ってたらしくて(笑)「全編改稿して絶対これより面白いのに仕上げてやる」とか分不相応な野望を抱いたものでした。

 ところがいざやってみると思った以上に難しい。2週間の殆どを注ぎ込んだにも拘らず、2人の出会いんとこまでしか進まなかった。「までしか」っていうか、そもそも全編改稿に取り組むうえで「冒頭〜エリスの登場」を丸々切り捨てるつもりだったので、正しくは「出会いの場面しか」終らなかった。

 → で。その結果がこれ。

 これは去年「pink rock corp.」ってサイトやってたときライナー・ノーツ付きで載せてた文章の再録ですが、それに拠ると

 ぼくの場合、問題は寧ろ「当時23歳にして『舞姫』を読んでない」という点にあり、このとき初めて森鴎外を読みました。


 そしたら・・・むちゃくちゃつまんねぇ! って素直に(笑)思って。これは大幅にプログラムを組み直さないと、とても読めたものにならない。という否定的見解にもとづき一気にジャンプを付けてみた、って感じですね。「主人公とエリスの立ち位置」の軸だけ残して、あとはもう片っ端から捨てちまえ。と。

 課題の第1回ということもあり、だいぶ全体的に固い。とにかくこのときは、現時点での自分の力量を高橋さんに見てほしい、っていう顕示欲みたいのが先行してしまいがちで、やや過剰に「ぼくの文体」を盛り込もうと躍起になっている感が強い。


 読み返すと「ここ、少し変えたいなぁ」って記述の散見される(もっともこれは、この作品に限った話じゃ全然ないですが・笑)キメの粗い作品ですけれど、最後の一文を素晴らしいと思える気持ちはきっとこの先も変わらないだろう。と思います。


 ・・・だそうです。まぁ感想じたいは今もさほど変らないですね。書き方がもっと謙虚になると思いますけど(笑。偉そうに「ぼくの文体」だなんて、もう今ちょっと言えないなぁ)。


 んでまぁ出来はともかく、頑張った甲斐のあってか、めでたく授業で取り上げてもらえて。自分の書いた文章を、作家ならぬ「うるぐすの競馬コーナーのオッチャン」であれ(笑。ほんとすいません)声に出して読み上げてもらえる快感みたいのもやっぱりあったし、それ以上に「うわぁーそこまでお見通しっすか?」ってくらい、ぼくが書きながら漠然と想起していた思いや考えを、的確に言葉に落としたコメントをくれるんですね。それが何より驚きだったというか。畏れ入りました、って感じで。

 不遜ながらぼくはそれまで「読書の量と作品の質に相関はない」って思ってました。確かに読書の好きな人ほど文才がある、という比例関係は現実に存在しないので必ずしも間違ってはいないんですが、けれどじゃあ、まったく本を読まない作家が歴史に残る傑作を生みだせるか? といえば、それまで「いや全然できるっしょ。要は感性の問題ですよね」とかバカみたく考えてたけど、その認識が決定的に間違ってるのをまず高橋さんに学んだ気がします。

 授業を聞いていて実感するのは、また誤解を招きかねない言い方になってしまいますが、喋ってるときの高橋さんは「作家」とか、まして「うるぐすの人」でも勿論なく、それ以前に「何より本を読むのが好きでたまらないオジサン」って印象なんですよね。本好きが高じて職業作家になった人。というか、他になれなかった人(笑)というか。感性のみに任せてじゃなく、膨大な量と種類の読書歴という経験に裏打ちされてるからこそ批評がブレないし、ぼくみたいな素人が2週間で書いた文章を読んでも驚くほど的確に射抜けるんだなぁ。と、まず痛烈に思いました。

 勿論「単なる読書狂」で終らず、作家として大成するにはプラス・アルファが必要になるんだろうけど、その前提条件として「本が好き」でなきゃそもそもお話にならないよな。文才を開花させる土壌として、一定以上の経験が必要不可欠なんだな。という、今にして思えば「当たり前じゃん」な認識を気づかせてくれましたね。


 それを裏づけるように、この「舞姫」以降も課題は出されるわけで、その殆どを読んだことないどころか名前すら知らない自分の無教養を嘆きつつ(笑)読んではリミックスを作成→提出。を毎回しつづけるんですけど、やっぱりどうしても波が出てくる。「舞姫」んときは(あくまで当時の)自分なりに、できる限りのものを提出できたって自負が実際あったけど、それ以降「うん。これもそれなりに良く書けたな」って思えるものもあれば「んー・・・ちょっと弱い気がするなぁ」ってのもあった。1週間という短い期間で、そう毎回納得のいくものばかり書けるほど筆圧が安定してなかったんですよね(まぁこれは未だにそうだけど)。

 で。やっぱりというかさすがというか。自信のなかった作品は果して取り上げられないことが多いし、取り上げられても「この部分が今一つ」とかって、きっちり指摘される。逆にそこそこ満足いくものを出せれば、それに応じて評価してもらえる。個人的に伊藤左千夫の「野菊の墓」をリミックスしたとき「うぉー。これむちゃくちゃ凄いのできた」って確信があって、そしたら「とても面白い」って言ってもらえて本当に心から嬉しかったのを今も鮮明に覚えています。


 「批評ってのは、つまりこういうことか」と身に沁みて思いました。勿論それだって「批評というものの真髄を、ちらっと垣間見た」程度のことなんでしょうけど、その程度でもぼくにとっては物凄く大きな収穫だった。この授業はその後、高橋さんの「〆切ヤバくて授業やってる場合じゃねぇ」という休講がけっこう多くて(笑)結局10回もなかったと思うんだけど、とはいえ・ぼくの学生生活に於いて10にも満たないその回数が非常に重要なパーセンテージを占めているのも事実です。なんたってぼくが出席率100%を最後まで維持できた、過去5年間でたった2つの授業がこれと、今年度の東浩紀さんだけですから(笑)。どんだけ学校行ってねぇんだよ、って話ですよねほんと。

 あと単純に、それまで接点を一切持とうとしなかった古典文学に触れられたのも大きくて、例えば「シベリア超特急」見てぼくが「うわ。これ田山花袋じゃん!」と思わず叫んでしまったりとかするのも、元を辿ればこんときの経験あってこそ。のような気がする・・・あーこれ蛇足だな完全に。