俺には貴方のそんな気持ちが良くわかる


 すごいぞ、くるり

 「アンテナ」が今日発売だったらしく、はてな界の至るところで(前も言ったけど、ぼくの見る限りはてなユーザーにはくるりナンバーガールスピッツのファンがやたら多い。ぼくの閲覧先が偏ってるだけ。という可能性も大いにあるので実際はどうか知らない。仮にそうとして、なぜなのかもわからない)くるり祭りの雨霰。そのお祭り具合たるや凄まじく、海藤くんにお願いして

 「はてなに接続した者は『くるり』と記述してはいけない」

 というルールで「タブー」を発動してもらったら、おそらく今日1日ではてなダイアリーのかなりの数が魂を抜かれ消えてしまうと推定される。そんでもって音楽になんの興味もないのに、たまたま今日に限って

 「電車ん中で体重かけてくるりーマンうぜぇ」

 とか書いちゃって訳もわからず魂抜かれた可哀想な人に向かって、したり顔でぼくは「それは『く』と『る』と『り』を続けて言っちゃいけないっていう厳然たるルールなんだよ」と冷徹に言い放つのだ。「『り』が平仮名だろうがカタカナだろうが、まぁそこはほら。見た目似てるし」と破綻防止のフォローを張るのも勿論忘れない。


 ぼくはくるりにそれほど強い思い入れがないし、アルバムも「ワールド・イズ・マイン」しか持ってない程度だけど、それでもくるりがこんだけ騒がれてるのを見ると他人事ながらなんだか嬉しい。音楽(に限らず、表現活動全般に言えることだけど)に対して真摯なスタンスで向き合っている人たちには、やはりそれ相応の評価があってほしい。という、これは「然るべき」とかって話じゃなく、殆ど個人的な願望に近いけどぼくはそう思っている。

 はてなですでに大喝采(らしい)といえ、まぁフラゲを含めてもまだ発売して2日めのアルバムだし、世間一般の評価を求めるのはやや尚早と思うけれども、もういっそオリコンで1位取っちまえ。とか内心期待してるのも事実。こういう人たちにこそ最前線で戦ってほしいですよやっぱり。「マイナー・エリアの最大勢力」なんて狭い枠さっさとブチ破って。


 こんだけ盛り上がっちゃうと、一段落した後に「こんなのどこが良いんだよバーカ」ってカウンターが発生するのはもはや必至だろうけど、この「オート作動する反作用」ってやつはほんと気持ち悪くて仕方ない。いわば有名税の類似品みたいので、売れたり騒がれてるものに片ッ端から食いつくとかシニカルに徹するとか。それって「主流に与しない個」というアイデンティティを獲得する最も手っ取り早い方法で、確かに一見クールだったりカッコ良く映るのかもしれないけれど、じゃあそのアイデンティティの中身は何かっつーと要は空洞で。「売れてる音楽はダサい」とか「カッコ悪い」って安易な認識が結局、何よりカッコ悪いよね。っていう話。

 「売れてる音楽=良い音楽」なんて等式が成立しないのは言うまでもなく当たり前の話(その逆もまた然り)で、ただもうちょっと細かく見ていくと、売れる音楽には何かしらの売れる要素が必ず含まれているわけで。例えばそれは「曲が良い」とか「歌詞に共感できる」とか、他にも「宣伝の打ち方が上手い」「歌い手のキャラクターが面白い」「TVドラマの主題歌」「可愛い」「萌え」「カラオケ向き」「ネタとして」・・・などなど幾つもあって(殆どの場合がそれらの複合だろうけど)、だとしたら・その中の1つに「真摯なスタンスが認められて」みたいのも含まれて良いじゃないか。と。

 つまり売れるCDの大半がマーケティングだの戦略の成功例に過ぎず、プラス「まぐれ当たり」のラッキー・パンチが時折混じる。という全体構図が動かしがたい現状なのは前提としても、さらに第3勢力としての「最も愚直な正攻法」のみで売れる音楽。というのがやはりあってほしいし、そのいわば「良心」の部分を実証してくれるアーティストを空虚なアイデンティティに目が眩んで貶めるのは限りなく無意味だ。

 「マイナーな頃からずっと目ぇつけて応援してきたアーティストが、けれど、ふと何かのきっかけで売れてしまうと急にどうでもよくなってくる」というのは、気持ちは痛いほどわかるけども(笑)やっぱり音楽の聴き方として不健康だと言わざるをえない。

 チャートとかセールスはあくまで1つのバロメータでしかない。それは裏返せば「売れてる音楽には興味ない」という言い方は、一見その束縛から解放されているようで結局・逃れきれていない本末転倒な見方である。ということ・・・てゆーかまぁ要は「良い音楽がちゃんと売れてくれればそれに越したことないじゃない」ってだけの話ですけどね。