ドロウ・ア・ライン


 その「窮んときと同じ選曲でラジオをやろう」って考えた背景には、覚えてる方もいらっしゃるかもしれないですけど、先月中旬に企画していた「クリクロ」っていうのが著作権云々の横槍でいったん中止 → 今に至るまで「凍結」という形で自粛中。という事情が絡んできます。

 クリクロの中止じたいは、そういう突っ込みへの対応策が(くるかもしれない。という認識はありつつも)不十分なまま見切り発車してしまったぼくらの手際の悪さというか。それも含めて複数箇所に於ける「見込みの甘さ」が招いた結果であり、自己責任なので「んなごちゃごちゃゆーんじゃねーよバカ」って開き直ったり逆ギレする気は別にないです。


 で。まぁそういう経緯で再考を余儀なくされた状況下で、何人かの方に相談したり助言をいただいたりしながら自分なりにいろいろ考えました(し、今も考えつづけてる。なんとなく「要するにもうやんないんでしょ」っぽい空気になっちゃってますけど、あくまで今は「凍結」であって、落としどころさえ目処が付けば解凍したいし、するつもりです。形態は当初の予定と、確かにいろいろ違ってくると思うけど)

 今回やろうと思ったのは、そのステップというか「どこまでがセーフで、どこからアウトなのか」・・・その境界線をぼくなりに一度引いてみたいと考えたからで、具体的にはここで告知し、実際の放送アドレスとかは mixi 上で(ぼくのページを closed に設定変更したうえで)発表しようと思ってました。そうすることで受信可能者を「不特定多数」から「特定少数」へと絞り込んでみよう、ってこと。


 そうして例えばレイヴ窮(じゃなくても別に良いんだけど)と比べたときに、まず、流す曲はまったく同じ。聴ける人数も不特定多数じゃない(窮では「その場にいる人数」であり、ラジオでは「mixi のぼくのページにアクセスできる人数」に限定されるし、仮にそれが多数いたとしても回線の都合上、聴けるのは最大で32人)。音質もCDより全然悪い(ラジオは 24 bit のアナログ回線)し、放送そのものを録音して繰り返し聴くことも(普通に考えて)ない。

 このように各条件を(完全に同一にはできないけど、近似値として)同様に設定・限定したうえで「さて、これはセーフかアウトか」という問いかけをしてみたかった。これだって「や。そういう御託とかいいから。ダメなもんはダメだから」って切られちゃえばそれでおしまいなんだけど、そうじゃなくてダメならダメで「何が、どうして」ダメなのか。を自分なりに見極めたいということです。


 クリクロ中止の経緯をもうちょっと細かく説明すると、サイトの掲示板に入ってきた横槍は2本で、まず最初に1人めが「なんか大々的にやろうとしてるみたいだけど著作権とかそのへん理解してるの? 覚悟あんの?」っぽい内容の書き込みをくれて、それについてはある程度理解も覚悟もしているつもりだったので「さて、どう波風を立てず返そうか」と思案していた(つまり、ここで後手に回ってしまった=事前にアナウンスしていなかったのが、ぼくらの手際がいちばん悪かった点で、2番めは理解も覚悟も「ある程度」止まりで不完全だったこと)最中に2人めが「はい違法者発見ー。Jasrac に通報してやりましたよお前ら」って言ってきてひとまず中止した。という流れなんですけど。

 で(このへんはメンバー全員の総意でなく、あくまでぼく個人の私見であることをお断りしておきますが)1本めは確かに正論だし良いとして、2本めの槍はぶっちゃけ「は?」って感じでしたぼくん中で。書いた人は「音楽を愛する一人として、無法者に正義の鉄槌を下してやったぜザマーミロ」ってもしかしたら思ってるかもしれないけど、仮にそれが正義だとして、即「通報」っていうアクションにしか繋げれないのは単に思考停止じゃないの? っていうのは(まぁほんとにしたのか知らないけど)正直あって。

 ちょうど先月って、例の名古屋のダンス・スクールに著作権料の支払いを命じる不思議判決が下りたばかりで「うわー・・・何それ」「どうなのよそれは?」って話が至るところで巻き起こってた時期ですけど、それを知ったうえで「はいお上に通報ー」って脊髄反射みたくなるんだとしたら、少なくともぼくにとってはそっちのがよほど気持ち悪い(勿論これもぼくらの不手際に端を発する問題で、ぼくらが明確に意思表示をしていれば一足飛びに通報まで行かなかった可能性もあるわけだから、一概に仮想敵と見なして叩くのは筋違いですが)


 もっと本音で言ってしまえば、著作権周りの諸問題を100%クリアして(つまり現行の著作権法に雁字搦めの状態で)何かしようと思ったら、これは一般論というよりあくまで「ぼく個人の」ケースですけど、殆ど何もできなくなるに等しい。例えば「月面」で言うと、ぼくはCDレビューするのに毎回ジャケット画像を載せてるし、レビュー以外の文章にも漫画や映画の台詞とか好きな曲の歌詞なんかをしょっちゅう混ぜ込んだりしてるし、たまに替え歌とかもやるし。

 すごい厳密に考えればそういうのも全部ダメなわけで、そうと知りながらそれでもやるのは「度合い的に問題じゃないだろう」っていうのと「万一、権利者からほんとに怒られたらすぐに消す(消せる)」っていう状況も勿論ありますが、その根底には「ここまでならセーフ」っていう自分なりの線が当然ながら引かれていて。

 CDレビューにジャケット画像を使ったり文章に台詞や歌詞を混ぜ込むことから、24 bit のアナログ回線でネット・ラジオをするまで含めて、ぼくの中での「線」とは「現行の著作権法は侵害しても、アーティストそのものは侵害しない」という通念です。別の言い方をすれば、著作権の侵害という行為を「本当に悪質な侵害」と「それほどには悪質じゃない侵害」に仮に2分するとして、ぼくの中ではそれらは後者に入る。ってこと(それでも侵害は侵害なので、このへんは全部言い訳なり開き直りの類ですけど)


 でまぁ「ぼくにとっては」とか「ぼくの中では」っていう考え方は危険っちゃあ危険で、ネット・ユーザーが100万人いるとして100万人全員が「俺的には」だの「私にとっては」だの言い始めたら当然収拾つくわけなくて、つまり最終的にアリ/ナシを判定するのは勿論個人であっちゃいけなくて、だからこそ法律ってのがあるわけですけど。

 Jasrac にしても「あんなもんなきゃいいじゃん」っていう論調も多いけど、それはちょっと極論というか、必要か不要かで言えばやっぱり必要じゃないかと思うし。問題なのは Jasrac っていう存在そのものでなく、今現在の体質なんであって(Jasrac じゃなきゃダメっていうんじゃなくて、Jasrac「的なもの」は必要。という意味です、紛らわしいけど)


 んで堂々巡りっぽくなっちゃいますが、個人に委ねるのは危険とはいえ、個々のサイト・スペースで何をするかは結局その人が、その人なりの軸なり線引きで決めるしかないわけで、その段階で法律とかルールっていうのはマナーや常識と同じレベルの、あくまで「目安」にしか過ぎない。問題化したときに食らうのが罰則か罵声か、の差はあれ。

 なんかちょっと話が拡散してきちゃったのでまとめると、ぼくは音楽が好きで、好きなアーティストもいっぱいいて、その人たちを尊敬していて、尊敬しているからこそ彼らを蔑ろにしたいなんて思わないし、同時に、その作品をもっと紹介したいと思う。低ビット・人数制限つきのネット・ラジオは(その制限があってこそ、ですが)それを両立できる貴重なツールだと「ぼくの中では」思う。だからこそやりたいと思うし、やろうとしたし、過去に実際やった。


 だからクリクロについては「やろうとしたこと」じたいが間違いとは思ってないです。ただ「やり方」は未熟だったし、無防備で打たれ弱すぎた。そして自分のやろうとした「やり方」は確かにぼく自身、決して「お行儀の良い」ものじゃないと思う。でも行儀は悪いけど、やる意義のないものとは思わないから、もっと未熟でも無防備でもないやり方に改善して、いずれまたやりたいと思う・・・ということです。今現在まだ試行錯誤の最中なので、ぼくの現時点でのこの意見は欠陥だったり穴だらけだったりするんだろうけど、方向性としては今後も変らないと思う。

 そういう意味で、レイヴ窮んとき初対面だったある人が「月面」を読んでくれていて、ぼくの herb 評(http://d.hatena.ne.jp/amn/20040515#p1)を読んで興味を持ち、後日ラジオをやったときかけた「Don't Look Back It's Danglin' There」を聴いて「気に入ったんで結局アルバム買っちゃいましたよ」と言ってくれたのはとても嬉しかったし励みになった(ありがとうございます!)


 こんなのはすごく些細な一例だけど、大袈裟な言い方をすれば、こういう些細な1つ1つが積もり積もって形成される「シーン」というのもあると思う・・・というか「あってほしい」と思うし、思いたい。まぁ綺麗事ですけどね。