前編 「寒空」


 1年生んとき、クラス担任は池田先生という人で、音楽の授業だけ高井先生という女の人だった。クラス替えが2年単位だったので、2年生んときも同じだった。3年生になって初めてクラスが変って、担任も三村先生という人に変って、でも音楽は高井先生のままだった。高井先生は優しくて綺麗で素敵な人で、ぼくは大好きだったので、それがとても嬉しかったのを覚えている。週に一度の音楽室が毎週、楽しみで仕方なかった。


 4年生になった。クラスはそのままだったけど、担任が今野先生という人になった。3年生の三村先生はちょっと頭のおかしい人で、普段はニコニコ優しいオバサンなのが突然、些細な(というか些細すぎる)ことでキレだして、いったんキレると手の付けられないむちゃくちゃ怖い人だったから内心ぼくは嬉しかった。たぶんクラスメイトも皆そう思っていたと思う。

 習字の授業のある日、西田くんというクラスメイトが習字セットは持ってきたけど、左のほうに名前を書く用の、あの小っちゃい筆だけを忘れる。という、とても些細な忘れ物をした。西田くんが「大きい筆だとうまく名前書けないね」と困っていたので、ぼくが小さい筆を貸してあげよ・・・うとするのを目ざとく発見した三村先生は突如、鬼神の如くキレた。習字の授業は中断され、そのまま反省会へ突入した。小さい筆を忘れた西田くんは「お前もう人間失格」くらい(比喩じゃなく、殆どそれと大差ないレベルの罵詈雑言を実際、吐かれた)怒られまくった。そして小さい筆を貸そうとしたぼくも「お前共犯」の罪で怒られまくった。それは確か3か4時間めだったと思うんだけど、その日は昼休みをほんのちょっと取っただけで、最後までブチ抜きで反省会だった。


 のみならず翌日、翌々日まで反省会はつづいた。その間、授業は一切なく(全部中止)反省会のためだけにクラスメイト確か30人くらいは連日、登校を強いられた。苦痛だった。どう考えても尋常じゃない。3日めには「今まで3年間で、たった1回でも、どんな小さなものでも忘れたことのある人は全員目をつぶって10分間反省しなさい」とかそういう、もはや誰にも有無を言わせぬ不条理きわまりないフェイズへ到達していた。

 こんな異常事態(これを今、仮に「三村会」と名づけよう)が、これ一度きりでなく、年間3〜4回あったと記憶している。プラスここまで長引かずとも「1日丸々三村会」の日が、最低でも10回は下らない。三村会は常に唐突に、なんの前触れもなくやってきた。5分前までほのぼのしていた教室が、5分後には忽ち恐怖の粛清空間に塗り変えられる。お調子者が自慢したさに「つい」学校へ持ってきてしまった1枚のビックリマン・シールが、地獄の正門を開ける鍵だった。おしとやかな田辺先生に切り盛りされる隣のクラスを、確実に誰もが死ぬほど羨んでいた。


 うおっと話が脱線しすぎた。ええと、とにかく4年生になって、ロベスピエール三村のテルール(恐怖政治)は終幕した。テルミドール9日は、東京都中央区暦に直すと4月2日だった。と言っても良いだろう。新しい今野先生はいつも穏やかな男の人だった。そして週に一度のオアシスだった(そう。三村公安委員会の圧政下に於いて、高井先生の音楽の時間はまさにオアシスそのものだった)音楽は勿論、高井先生のまま・・・てっきり、ぼくは、そう思い込んでたんだった。