4.1 (補記)


 んで最後にちらっと思うのは、今もう菊地成孔って言えば(特にネット上だと)けっこうな有名人で、「fontaine/degustation」なり音楽理論の本出したり東大の非常勤講師っていう知名度などで「なんとなく頭良くって難しそう」なイメージがあるせいか、ぼくの身近にも「菊地さんの音楽は聴いたけどよくわかんない」とか「難しそうで聴く気しない」っていう人がちらほらいたりするんですけど、で「聴いたけどよくわかんない」のはまぁ自分と合わないだけかもしれないし無理に聴けってわけもないけど「難しそうで聴く気がしない」っていうのは勿体ない気がするというか、実際に小難しい話したり本書いてる人だし気持ちはわからなくないけど、でもそれは入り方の問題とか先入観、或いは悪く言えば偏見で、別にデートコースだって現代音楽じゃないんだし「曲の構造を理解できなきゃ楽しめない音楽」とかじゃ全然なくて、よくわかんねーけど何この7拍子? 踊りづらっ・・・あ、でもなんか聴きながらゆらゆらしてるの気持ち良いかも。とか「この曲は複数の異なった周期で循環するリズム・パターンを同時に演奏していてその総体として現出するグルーヴ」・・・ってわけわからん。単にノイズにしか聴こえない。でも俺ノイズ好きだしこれも意外と好き。みたいな適当な聴き方で別に悪くないと思う。適当、という言葉は悪いけど。


 たまたまそういうのを好きな人が菊地さんの音楽を好きな人に多いだけの話であって、そういうのが好きじゃないとか嫌いでも音楽は気に入れるかもしれない。というか演奏者がどういう人とかあんまり音楽とたぶん関係ない。ビートルズの楽曲は、きちんと分析するとコード進行やら何やらむちゃくちゃ高度に構成されてるらしいんだけど、でもそういう分析の好き嫌いを問わず、世界中のあらゆる人がビートルズを聴いている。