暗中も咲く日記、或いは Aren't you? Mo'suck diary


 大槻ケンヂは「グミ・チョコレート・パイン」と言った。

 これは正しい。というか理に適っていて、おそらくこういうのは地域差があると思うのだけれど、ちょうど麻雀の地方ルールと同じで、例えばぼくの文化圏には「真似マン」というのがあって、自分より上家の捨て牌を初打から5枚連続で真似ると満貫。7枚で跳満。以降、2枚ごとに倍、3倍・・・という人をバカにするのも大概にしてほしいルールが現実に適用されていて、しかも(自分「の」でなく「より」なので)この害悪を最も被爆しやすい東家が食らうと親の3/2倍払いで12000点。と来た日にゃもうわけわかんねっつーか殺すよ? ってな感じなのだが脱線しまくったので戻すと、ぼくが幼少期を過ごした東京都中央区では「グミ・チョコレート・パイン」でなくて「グリコ・チョコレート・パイナップル」で、グーで勝つとグ、リ、コ。で3歩、チョキだとチ、ヨ、コ、レ、イ、ト。で6歩、パーだとパ、イ、ナ、ツ、プ、ル。で6歩を進めたのである。


 これがいかに無茶であるかは歩数の設定から明白で、例えば今、17段の階段でゲームをスタートするとしよう。グー、チョキ、パーで1回ずつ勝って15段を上ったとする。残り2段。ここでチョキで勝つとチ、ヨ。でゴール到達なわけだが、劣勢のガキの強引な開き直りがそうは問屋が卸さない。とばかり、残るコ、レ、イ、ト。の4段ぶん折り返せと要求する。で、13段めに戻ると、次にパーで勝っても着地点は15段めであり、グーで勝つと16段め。あと1段のところまで迫るものの、その残る1段が問題なんであって結局これは埋まらない。

 端的に言って、歩数が3の倍数にしか設定されていない時点でこれはゲームの構造上の欠陥であり、それでもなお敢行したいのなら予め舞台を15段や18段の階段に限定しなければならない。しかしながら3の倍数云々の理屈を理解したがらないのがガキのガキたる所以であり、またゲーム前に段数をカウントするなどという用意周到さも持ち合わせているわけがなく、よって17を3で割り切ろうと試む無限ループ遊戯が無謀にも決行されてしまう。


 そこまではまぁ、良い。子供だもんね。あはは、で済ませれるレベルの話なのだが、問題はこの本来、誰かが飽きたと言いだすまで終らないはずのゲームを、往々にして1人のガキがクリアしてしまうことである。グ、リ、コ・・・よっしゃぴったりー! 勝ちー! とか抜かす奴が必ず現れる。ゆめゆめ忘れてはならないのは「子供」という天使の生まれ変わり。純白の心を持った存在、というサニー・サイドを一皮捲れば、そこに必ず「ガキ」というダーク・サイドが姿を現すことである。ガキはこういう、理論的にありえない結論を導くのが何より上手い。


 ぼくはわりと早熟な奴で、というかまぁ家庭環境のせいなんだけど、小学校で足し算と引き算を習ったばかりの頃に、家で夜、寝る前に父親が掛け算や割り算を叩き込んでくる生活を一時期強いられていたため、今でこそセンター試験を「数学Ⅰ」終了直後に「Ⅱ」を残し敵前逃亡するような文科系硬派を標榜する身であるけれども、ガキの時分は算数が得意科目だった。そのため連日、下校時に誰かの号令とともに開催される「グリコ・チョコレート・パイナップル」の構造的欠陥に早く気づいていた。

 当然のように下校路は毎日同じで、その途上で行うわけなので舞台となる階段も同じで、それが3の倍数でない以上このゲームは終らない・・・その、はずなのだ。しかし現実に毎日、誰かしらが「クリアー!」とか言いだすわけである。嘘をつけ、と。てめぇノーノーとしたり顔で「いぇー」とか言ってんじゃねぇよバカ! 俺は知ってる。絶対お前どっかで1つ端折ってんだろコノヤロー、と、しかし言いたくても言えない歯痒さ、そして「お前いつも負けてるよな。よえー」と理不尽に蔑まれる辛酸を、嫌というほど舐めさせられた日々であった。


 そんな日々をなぜ今、唐突に思いだしたのか、書いてるうちにわかんなくなってきたので無理矢理終らせたい今日この頃なんですけれども、それもまぁあんまりなので最初そういえば麻雀の例えを出したけど、もう1つ、高校に中西さんという先輩がいまして、彼が中と西を抱えてアガると「中西」で1翻。という、もはや人を人とも思わぬ無法が罷り通っていた AOHARU YOUTH だったわけですが、3000点台のトップ争いしてるとき「中、ドラ1、中西」の3900点でアガられてウマとオカで差し引き1500円かっさらわれた1996年、8月のあの日をぼくは忘れない。