ぼくは子供の頃、地震をすごい怖がる子で。

 といっても震度1や2程度の微震で泣きだしちゃうとか、そういう過剰な怖がり方ではなくて、社会の時間に関東大震災の話が出るじゃないですか。んで、60年周期説みたいので、そろそろ来るかも・・・とか言われて、それを想像するとすげー怖くて。かなり長い間ビクビクしてました。いつのまにか、そうでもなくなっていたけれど。

 戦争はそこまででもなくて。たぶん、これはけっこう不謹慎な言い方ですけど、疎開だの防空壕だのって聞いて「なんか遠足みたいで楽しそう」っぽい、無知ゆえの子供じみた浮かれ方をしてたように思う。勿論、好きか嫌か? って言われたら確実に嫌なんだけど、でも「大地震より戦争のが全然マシ」くらい実際、思ってました。とにかく地震がもう怖くて。60年周期説をあまりにも精確に捉えすぎてしまい「来るとしたら9月1日」って、なんか勝手に思い込んじゃって(笑)毎年8月31日は、ためこんだ夏休みの宿題必死にやりながら「明日は大丈夫かなー・・・」って、すごい怯えてました。2学期が始まることの鬱陶しさより、無事に初日が過ぎてくれるのを真剣に祈ってた。


 その頃、東京の佃島っていう下町に住んでたんだけど、近所に駄菓子屋があって。そこのジイちゃんバアちゃんは2人とも、大震災も戦争も経験した人でした。子供なんで当然、駄菓子屋へは日参を欠かさないわけですけど(そういうもんですよね?)ある日、いつものように店内を物色中、ぐらっと足場が揺れて。んで友達の手前、カッコ悪いし極力ビビった素振りは隠しつつ、けど内心すげー怖くて、勘定台んとこ両手でぐっと掴んで揺れが引くのを待ってたら、そんときバアちゃんが、ぼくの手の上にふわっと自分の手を置いてこう言うわけです。

 「地震ていうのは、地球が疲れて、ちょっとガタが来てるから起こるんだよ。家だって何十年も住んでると、だんだん疲れてくるから障子がガタガタしたり戸が開けづらくなったりするだろ? それは中に住んでるお前さんらを守るのが大変で、時々家も疲れちゃうんだよ。それでも家はお前さんらを守ってくれてるんだから、お前さんも家は大事にしないといけない。地震も同じで、お前さんや私なんかを毎日乗せて動くもんだから時々、疲れてガタが来る。だから大事なのは、お前さんがいつも地球に優しくてあげることだよ」


 残念ながら世をヒネた大人になってしまった今、思えば「えー。何その気休めにもなってない気休めー」と、突っ込みの1つも入れたくなるチャチい代物なんですけども、不思議と包容力のあって、当時のぼくをわりと・・・というか、とても安心させてくれた言葉だったように思う。おかげでだいぶ怯えも引いたし、その後、気づけばそうでもなくなっていた、もしかしてこれがきっかけだったかもしれない。上に書き起こしたのは要約で、実際は細部とか超うろ覚えなんですけど、でもバアちゃんの言葉と手の温度が、ぼくの気分的に弱っていたのを和らげ、軽くしてくれたのは事実。たぶんバアちゃんとっくにもう死んでますけどね。伝えれるなら感謝を、改めて伝えたいと思う。