ロックンロールⅡ


 そんでさて昨日は、スペシャ列伝 vol.49 (http://www.spaceshowertv.com/retsuden/live.html#049)を見に新宿ロフトへ行ってきましたよ。

 5日連続で深夜「無政府主義的恋愛」鑑賞 → 仕事 → ライヴ、という睡眠不足度全開の強行軍だったため会場入りした時点で早くもヘバってました。ひ弱。出演は riddim saunterNATSUMENGREAT ADVENTURE ・・・の順。


riddim saunter

 ヴォーカルの人が、顔から声、キャラ、ボディ・アクションまでことごとく寮の同輩だったKに似てて、Kは1年めでいきなり2留カマして「俺はソウルなバンドでプロになる」っつー台詞を残しぼくらの前から姿を消して現在まで消息不明。というファンキーな奴なんだけど、んで「ロフトで4年ぶりにまさかの再会か!? しかもちゃんと有言実行してるしコノヤロー」って気が気じゃなくしてるうちにステージ終ってて、おまけにラスト1曲んときようやく「や。なんかやっぱり微妙にKじゃない」と判明(今調べたら実際、全然別人でした)・・・といった按配。


NATSUMEN

 NATSUMEN のステージにはデフォルト装備されてるはずのスーパードライや氷結果汁など、アルコール類の缶がどこにもない! というヴィジュアル的なジャブでの幕開けとなった本日は

1. Pills To Kill Ma August
2. Septemujina
3. Whole Lotta Summer
4. Sonata Of The Summer
5. Natsu No Mujina

 という、いわば「40分ライヴ定食Aセット」的5曲なセット・リスト(参考:id:amn:20050216#p1)・・・んで、ぼくはステージ左横のスピーカーの目の前で待機してたら1発めの「Pills To 〜」でいきなり鼓膜ブチ抜かれましたっつーか音でけぇー! 未だに左耳なんか変な感じんなってます(参考:ほら同様の犠牲者がここに → id:kaon69:20050416、id:holic:20050415。特に、きわめて酷似した後遺症に悩まされてる kaon69 さんと俺は10中8、9、ライヴ時に直径1m円内だったっぽい)


 肝心の音は。と言えば、大好きなアルコールを初めて断ってステージに臨んだメンバーの気合い(なんだろうな、たぶん)の、確かに窺い知れる高精度。実際どのライヴ評を見ても「今日のはレベル高かった」とか「今まででいちばん良かった」って声がすごい多い。NATSUMEN は最近、今まで以上に集中して練習に打ち込みまくってるそうなので、早くもその効果の片鱗が垣間見れた・・・っていう解釈で良いんでしょう。

 けど個人的には「まだまだ NATSUMEN こんなもんじゃないっしょ」っていう感じが正直した。なんていうか、ちょっと性急すぎる印象みたいの。もっとも上述したように、ぼく自身が睡眠不足でふらふらしてたうえ、ちょっとでもテンション上げようとビール飲みまくって(つっても3杯ですけど。もともと弱い)余計にふらふらしまくってたんで、リズム感とかグダグダんなっててそう感じただけかもしれなくて、つまり全然アテにならない感想ですけど、全体的にちょっと(だけ)カッチリしすぎてるっていうか。


 ぼくは NATSUMEN のライヴには2本の軸があると思ってて、1つがさっき「精度」って言った、いわゆる演奏力とか技術的な次元。で、もう1つがもっと観念的な、人間力とか泥くささみたいなもの。今まで NATSUMEN て精度の面で弱いってよく叩かれてたけど、じゃあちょっとそれ強化してみましたよ・・・っていうのが、なんとなく昨日のライヴの印象。だから確かに演奏としてすごい良かったんだと思うけど、洗練されたがゆえの泥くささの希薄っていうか。個人的にそういうカオス一歩手前の、ぐわーっていう、迫ってくる感覚をもっと欲してたかなーと思う。

 勿論「精度」が必要ないってわけじゃなくて、キメるべきポイントでがしっとキメて爆発させてくれるのは必須というか。そこがグダグダだったらやっぱり全然ダメだし、必要なんだけど、だからその2本の両立っていうか、どっちも100%に振り切れてくれたら完璧だと思うけど、昨日のは、その「到達点」へ向けての新しい1歩って感じでした。この先演奏がより洗練されていって、プラスそのうえに泥くささ全開100%を炸裂させてくれたら、きっとそれはもうとんでもなくすごいことになると思うんでその日が待ち遠しい。そういう意味で「次」へ繋げるための不可欠なステップというか、転換点だったのかな。俺はもっともっと NATSUMEN は泥っぽくあってほしいのです。


 だって演奏の完成度のみをひたすら追及したいのであれば、これはまぁ嫌な言い方ですけどメンバーを半分以上入れ替えてリセットする必要とかなかったと思うし、けどそう決断して新しい NATSUMEN をつくったのは他ならぬ AxSxE さんで、てことは言うまでもなく彼自身その「到達点」を見ているのだ、きっと。例えば Rovo なんかは精度として完璧に完成されていて100%・・・どころか120%くらい振り切れまくってると思うんだけど、それはそれでむちゃくちゃ物凄くて興奮するし恍惚するし魔法にかけられてしまうのですけど、でもそれと NATSUMEN の目指す地点は違っていて、俺の求める NATSUMEN も違っていて、狂おしいくらい泥くさくて感情を掻き毟ってくれて夏の太陽とか夕焼けの色とかお花屋さんが意味ねーほどの花火とか。そういう風景が走馬灯みたく炸裂するっていうかそういう全部そのまんまの NATSUMEN を俺は見たいし、見れると思うからこそ毎回ライヴへ行くんだと思う。


GREAT ADVENTURE

 最近噂の GREAT ADVENTURE さんは予想以上にカッコ良くてびっくりしたんですけども、同時に、轟音で鼓膜をビリビリしながらいろいろ考えさせられてしまった。というのは昨日の曽我部さんの DVD の話とか、さっきの NATSUMEN とかと全部つながってる1つの話なんだけど「全部」か「全部じゃない」かってことだとたぶん思う。

 GREAT ADVENTURE の音は確かにカッコ良くて俺の右脳はパブロフ犬で踊りたがってるんだけど、一方で左脳が「んー。むー。あー・・・」と、声にならない違和感を訴えて俺を解放してくれない。なんとなく突き抜けれない。なんで? と思ったらすぐわかったのは「全部」じゃないせいだ、鳴ってる音が。ステージ(向かって)右側でヴォーカルとギターが、左側でベースが、後方でドラムの4つの音がガツッと鳴らされているけれど、スピーカーから流れてくるのは全然その4つだけじゃなくて、他に幾つも足されてる音なのだった。


 1曲1曲の始まる前にヴォーカルの人がステージ右端に置いてあるなんか機械んとこへ行って、なんかボタンをぽちっと押して、そうするとプログラミングされたビートと、3人だけでは同時発音しきれない「+α」がいろいろ最初からそこに入ってて、その上にヴォーカルとギターとベースとドラムを「乗っけていく」のが GREAT ADVENTURE のライヴだった。というか別に彼らに限らず、そういうライヴをする人たちは他にいっぱいいるわけだけど、つまり俺はそういう「後乗せ」感というか、言ってみれば「声と楽器のカラオケ」的なライヴがどうしても好きになれない。

 「考え方が古い」と一蹴されればそれまでかもしんないけど(まぁそれは否定しませんけど)やっぱり俺はライヴは、俺の目の前で「全部」を鳴らしてほしいと考えてしまう。ステージ上の3人が誰も動いてないのに4つ打ちのバック・ビートがフロアに流れてるとか、1人しかマイクに向かってないのにコーラスが加わってハモって聴こえてくるとか、そういうのに根本的な違和感が消えない。


 度々言及して恐縮ですが kaon69 さんも言ってらっしゃるように(id:kaon69:20050415#1113492117)「音はCDの中のをどこまで表現するのかと思ってたけど、ちゃんとCD通りだった」と。俺は GREAT ADVENTURE を事前に「予習」とかしてなかったけど、でも会場で初めて聴いてやっぱり「あーCDだなー」と思った。正確にはCDとライヴのハイブリッドなわけですけど、どっちみち要は「全部」じゃない。どんだけカッコ良くても、その時点で決定的な「何か」が欠落してしまう。

 念のため言っときますけど、別にプログラミングを頭ごなしに全否定する気は毛頭ないです。ただライヴに導入するならするで、その音を誰かに司ってほしい。例えばサポートを1人入れて、その4人めが「+α」を担当するなら、それだけでだいぶ印象も違うはず。それはその4人めが万一ボタンを押し忘れたり、押すタイミングをちょっと間違っただけでサウンド全体が狂うっていうリスクを意味するけど、同時に音全部を支配できるっていうこと。


 逆にこういう「後乗せ」式だと、どうしてもライヴ全体が「支配されてる」気がしてしまう。だって最初にポチっとボタンを押した瞬間、その時点で、その曲は3分50秒後にきっかり終ることが(当たり前だけど)確定して、運命づけられてしまうのだ。曲間のブレイクをいつもより1秒長くタメてみるとか、アウトロのリフを延々3分くらい繰り返すとか絶対できない。それってなんかすごい不自由に思えてならない。別に即興が重要と言いたいわけじゃなくて、リハーサル通りの演奏を完璧に再現するのも全然アリ(それは結果だから)だけど、あんまりあざとい形で予定調和が入ってくるのが嫌なのだ、なんか。

 NATSUMEN は8人もいるから良いけど、GREAT ADVENTURE は3人だし音が足りなくなっても仕方ない。というなら、さっきも言ったけどステージに4人めを置けば良いし、いや俺らは飽くまでこの3人でこそ GREAT ADVENTURE であって他はいらない。というなら、別にCDと同じものを再現しなくても全然良いんで、その3人だけの音を鳴らしてほしい。と俺はどうも思わずにいれない。この3人で、かつ、この音じゃなきゃダメなんだよ。ってなると当然、今のスタイルしかないわけで、それなら俺はもうライヴはいいや。っていうだけの話。音は好きだし、CDは聴くけど。贅沢っすかね。


 何回も書くけど GREAT ADVENTURE は俺は好きです。それは昨日聴いて思った。YUJI OTA さんとか超カッコ良くて、佇まいだけで絵になるし、あの強烈な、ステージからフロアを見下ろすだけでびしびし伝わってくるカリスマ性はすごい武器だ。それは曽我部さんとか NATSUMEN が(求めたがってるかどうかは知らないが)求めたところで決して手に入らない天賦だと思う。けどじゃあ俺がフジ・ロックで、例えば NATSUMENGREAT ADVENTURE がバッティングしたら、悪いけど GREAT ADVENTURE は確実に切る。なぜなら俺はロックンロールが欲しいからで、ロックンロールとは全部であって(4月14日現在)、ライヴに於ける「全部」とは、サウンドとヴィジュアルを足せば算出されるものではないのだ。動く GREAT ADVENTURE が見れるだけで満足、ってわけにはいかない。

 俺は確かに昨日の NATSUMEN を「ちょっと性急すぎる印象」と評したが、けど NATSUMEN は昨日、昨日の時点でできる限りのライヴをしたと思う。ちょっと性急すぎた部分(ていうのも、あくまで俺の感想に過ぎないけど)も含めて、それが昨日の NATSUMEN の全部だったなら別に良い。演奏の精度が高まったぶん、泥くささの少し薄れてしまった NATSUMEN の、その2つをまだ完全には両立しきれない不完全さが現時点での「全部」なら。


 翻って、じゃあ死力を尽くして「今できる限り」を、外部の音に頼らず演奏すればそれで即「全部」か? っていうと勿論そうでもなくて、そのへん大変に難しいのであります。俺自身、書いててまた頭ん中ぐちゃぐちゃ混乱してきた。感情を言葉にするのって難しいね(何を今更)・・・とりあえず「音でかければでかいほどロック」ていう安易な図式が成立するほど世の中単純じゃない(はず)なので、この耳鳴りを誰かどうにかしてください。主にロフトの PA の人。