U. P.

amn2005-10-11



 最近(というか、もうだいぶ前から)気になって気になって仕方のない人がいて、それは PANICSMILE の吉田代表なんですけど、どのくらい気になっているかと言うと今月1日、彼は勤務中の事故で左手親指を骨折。というアクシデントに見舞われまして(ちなみに吉田代表の勤務先は、秋葉原Club Goodman というライヴ・ハウスであります)それじたいは「どうぞお大事になさってください」と心から思うばかりなのですが、この事故以降、これまでお世辞にも更新頻度の高かったとは言えない彼の日記が(痛みを少しでも紛らすため。かと推測しますが)コンスタントに連日更新されだしたのを、不謹慎と弁えつつも内心かなり喜んでいる自分に後ろめたさを感じてしまうほど気になっています。我ながら実に回りくどい文章を書くね俺は。あと俺に他人様の日記の更新頻度がどうのこうのと突っ込める義理などビタイチあったもんじゃないのは一応、知ってます。


 ■ 頭痛後記(http://www1.rocketbbs.com/616/hajime.html)、10月5日

 10月1日(土)、わたくし吉田、勤務中に不慮の事故で左手親指を骨折いたしました。
 3日月曜日に手術を受けまして、医師の診断によりますと全治2ヶ月という事です。


 このため、現在決まっております(中略。10〜11月のライヴ日程)のライブに於いて既存のアルバム収録曲の完全な再現が不可能な状態、となっております。


 キャンセルは基本的にしません。
 いかなる形でもステージに上がりますので、どうか宜しくお願いします。


 これを「男だ。カッコイイ!」と釈るか「ファンがお金を払って見るステージに、いかなる理由であれ完全な演奏のできない状態で上がるなどプロ失格だ」と釈るか。は個人に拠ると思いますが、ぼくは前者です。なぜなら PANICSMILE のライヴは(とか偉そうに語れるほど、彼らのライヴを何度も見てきているわけじゃないんですけどね)そもそも「既存のアルバム収録曲の完全な再現」を主目的としていないので。

 ・・・というのはまぁ余談で、このエントリーで書きたい話じゃなくてですね、なぜぼくが吉田代表に魅かれるか。と言いますと、彼は、ぼくの考える「オルタナティヴ」というものを、まんま体現している稀有な人だと思うからです(で以下の話は「オルタナティヴ」をどう定義/解釈するか。で人によって違うと思いますけど、そのへんぼくもあんまりはっきり「こう!」って言える明確な基準を持ってるでもなく、あくまで「なんとなく」レベルの曖昧な線引きでしかないのを最初にお断りしておきます)


 例えば(と、ここで MO’SOME TONEBENDER を引くのは一部の人に怒られそうでちょっと怖いんですけど)、かつて MO’SOME TONEBENDER が標榜していた「オルタナティヴなロック」というのを、どうもしっくり受け止められない。というか自分の中で「んー・・・いや、それわかるんだけど、でも・・・」みたいな煮え切らなさを、ぼくがどうしても払拭できなかったのは、彼らの掲げる「オルタナティヴ」に一種のあざとさがチラついて見えたせいです。あざとい、とか言っちゃうと言葉悪いですし全部が全部 100% じゃ勿論ないけど、そういう「演出感」なり「ちょっと(だけ)無理してつくってる感」みたいのが、どうしてもチラチラ耳についたのね。「Trigger Happy」ていうアルバムが俺すごい好きで、かなりの回数聴き込んでると思うんですが、なのに手放しで大絶賛する気にどうもなれなかったのは強いて言えばそのへん。


 で、また横道に少し逸れると、どうやら最近の MO’SOME (の、特にライヴについて)の騒がれ方を見る限り、おそらくそういう次元を今もう吹っ切ってんだろうな・・・という気がしてならなくて、なので今いちばん生で見てみたいのが彼らなんですけど。音源だけ追っかけても「アンハッピー・ニューエイジ」〜「The Stories of Adventure」らへんでその萌芽は見れるし、「ビートルバーナー」とか確かに相当吹っ切れてる。なんだよ MO’SOME 真っ直ぐで全然良いじゃん、ていうさ。言い換えれば、純然たるオルタナティヴたるに彼らは少し健全であり健康的すぎる・・・っぽい印象が今まであった(繰り返すけど、何を以てオルタナティヴとするか。の部分を曖昧にしたまま話してるので、いまいち伝わりづらいかもしれませんが。じゃあ健全でも健康的でもない「病的=オルタナティヴ」なの? って言うと、それもまた微妙にズレてくるしなあ・・・)

 まぁあざとさのチラつくオルタナティヴ・・・とか言い出すと、それこそ一時期のくるりが断トツで筆頭な気がするけども。「Team Rock」とか「アンテナ」とか全然ピンと来なかったし。「ワールド・イズ・マイン」はけっこう来たんだけど。くるりの最近の音は良く知らないけど、わりと彼らも何か吹っ切れたような印象があるので(それと眼鏡を外したことが相関するかは知りませんが・笑)なんとなく気になります。つまり要は、そういう素養のある人らはもっとみんなガンガン吹っ切ってけば良いんだよな、と。変に肩の力が入ってるより、そのほうが断然響くと思う。肩に力の入りすぎた結果、壊れちゃったバンドもいっぱいいるしね。


 そして話は戻りますけど、ぼくが吉田代表を面白いと思うのは、やや大袈裟に言えば、彼がおそらく生まれついての、生粋のオルタナティヴである。という点です。MO’SOME TONEBENDERくるりがストレートに吹っ切れて、その本来の魅力が開花するのと対照的に、吉田代表の場合、突き詰めれば突き詰めるほど、突き詰めて突き詰めて吹っ切れた結果、それが本質的に、もうどうしようもなくオルタナティヴであるわけです。ここがすごい面白い。すなわち、ぼくの考える「真の」オルタナティヴであるんです吉田代表は。そして、それゆえに物凄く捩れてるしヒネくれてる。でもそれは狙って繕った捩れやヒネくれ方じゃないから、そこにあざとさや抵抗がない。

 これは考えようによっては大変な茨の道で、ある意味きっと本人的には「たまったもんじゃねぇ」という葛藤が始終、渦巻いてるんじゃないかと思う。だって本質なんだから。そりゃ迷走もしますよ、ぐるぐると。で、それじたいは(多数派ではないにせよ)超マイノリティってわけでもまたないと思うんですけど、吉田代表がカッコイイのは、その自虐を抱え込んでもはや完全に開き直ってる、その潔さだと思うのです。彼は「頭痛後記」などで時々「我々は生涯オルタナティヴである」といった趣旨の発言を見せますが、これを正面切って断言するには相当の覚悟が必要じゃないかと。なかなか言えないよ、そんなの(そりゃ言うだけなら上辺でいくらでも吐けるけど、その姿勢を維持し、実践しつづけるのは生半可じゃないと思う)


 ぼくはそんな吉田代表と PANICSMILE が好きです。と、深夜に彼らの音楽を聴きながら思う。

 吉田代表、頑張ってください。