Modulate Alpha


 〜前回のあらすじ〜

id:ninnycatバッカスはみんなの心の中に。貢ぎ物をケチると現れてくれませんので、信じて呑み続ければそのうちお告げが聞こえるようになります。』
id:amn 『精進する!』


 というわけで即・再戦 → そして再び即死、と書いてインスタント・デス。神いねぇー! がっつり貢いだのに・・・信じてたのに・・・。ていうか不思議なのは、ふらふらんなって帰ってきて頭痛いけど超ハイ・テンションで日記書いて、書き上げてみたらグダグダどころか完全に「フィネガンズ・ウェイク」で地球外生命体にしか解読不能で、けど酔ってるから「まーいーやー、えーいこうしーん」つって寝た・・・はずなのに更新してませんでした。

 勿論そんな宇宙語文書が秘密裏に抹殺されていてくれた、それじたいは嬉しいというかありがたいことこのうえないんですけども、けどさ「更新した記憶がないのに更新してる」のってわりと普通じゃん? けど「更新した記憶があるのに更新してない」って、ちょっとどうかと思うんですよね。なんだろう「一歩先へ来ちゃいました」的な危機感が。あれ、俺もしか『6秒』戻された?


 そしてそんな男の世界の事情以上に今ぼくを魅了して止まないのが CD ウォークマンという存在です。やばいこれ超便利。浪人時代に愛用してて、けどブッ壊れて捨てもせず放置しといたロートル野郎なんですけど、こないだ帰省し(てマンガだけ読んで帰っ)たとき、なんとなく電池入れたら動くんですよ普通に。なので7年ぶりにまた使いだした。

 何が便利って「出先で買った CD を、その帰り道ですぐ聴ける」んですよね。当たり前のことなんだけど、これが思ってた以上にでかい。ぼくは日頃、安くてジャケの面白そうな中古盤をまとめてけっこう買います。250円とか400円で10枚、とか。それで当たると単純に快感だし、そっからまた思いもよらぬ方向へ興味が転がってったりとかして面白いので、つい買ってしまうんですが。これが月に1度なら問題ないけど、多いと週に1〜2度とかんなる。すると往々にして「買ってはみたものの・・・」ってなりがち。


 いわゆる「積ん読」本ならぬ「積ん聴」 CD が出てくるわけで、だって、ただでさえ「これは聴こう」と思って買ったり借りたりいろいろするわけで、どうしてもそっちのが優先度は高い。そっちが最初から「聴きたい!」のに比べて、こっちはしょせん「かもしれない」の衝動買いだし、しかもそれは「衝動」ゆえに時間で稀薄されやすい。極端な話、買って家に帰った頃には「あー・・・なんかパス」とかなったりする。いずれ機を得て発掘されれば良いけど、されず不幸にも埋もれちゃってる CD が現に何枚かあります。それでも極力、全部に耳を通すよう心がけてはいるんですが、気の乗ってないで1回「耳を通し」た程度じゃスリ抜けてしまうのも絶対あると思う。

 そこで CD ウォークマンですよ。買って即、衝動フル・ゲージの状態で聴ける、というだけでかなり違う。今までなら、もしかして家に着いてとりあえず後回しにされて、1ヵ月後にやっと聴いてみて、たまたまそのときの波長と合わなくて「んー・・・」で終っちゃってたかもしれない CD が、あ。なんかこれ良さそう、聴いてみよう、っていう脳内歓迎会モードのまま聴けたおかげで「あー、うん、良いじゃん気に入った」てなってヘヴィ・ローテーション入り、というケースが最近すごい増えた(勿論 if の話で実際どうなってたかはわかんないけど、感覚的に言えば「絶対」そう・・・そして「そういう気がする」だけで、なんだか少し音楽が身近になった手応えみたいのもあって心地良い)


 にしても、21世紀最初の10年が折り返し地点を過ぎた今頃「iPod でミュージック・ライフに劇的な変化が!」という世界標準をガン無視かまして「CD ウォークマンでなんかちょっと音楽が身近に」とか戯れ言を抜かしてる俺はいったい誰なのか・・・までが前期の試験範囲ですので予習を怠らないように。後期はそこからさらに発展して「宇宙標準の時代へ」というテーマを取り上げます。

 そんで最後に今までの話の流れを全力でぶった切って言うけど、最近、数学者の伝記を読むのが面白くて仕方ないんですけど、どういう嗜好の変化なのかぼく自身さっぱりわかりませんね(談)