無題


 タワー・レコードに置いてあった「期待のニュー・カマー特集」みたいなフリー・ペーパーを、ストレイテナー目当てで貰って読んでたらペンパルズ(の、林さん)が

 どっちも同じロックンロールなのに Rancid は帯に『パンク』って書いてあるから聴くけど Kiss は『ハードロック』だから聴かないとか。そういう棲み分けとかいらないし勿体ないと思う。


 って言ってて「うんうん」と思った。ペンパルズって何枚か昔聴いただけで今もう全然聴いてないけど、それはあくまで「ぼくがペンパルズを好きじゃない」ってだけの話で。だからってまぁ「じゃあ今回ので見直してペンパルズの新作聴く?」っつわれたらやっぱ聴かないですけど(笑)そういうことじゃなくてですね。

 彼らは彼らの信念で以て、自分なりの最高にカッコイイ音楽を(ぼくが聴かなくなった以降も)ひたすら鳴らしつづけて今に至ってるらしいんですよねどうやら。「活動を続けててもロックに行き詰ることがない」とまで言い切ってて「うわぁ。そりゃすげぇ」と思うけど(笑)。


 何が言いたいかっつーと、そういう人たちにはほんと頑張ってほしいなぁ。という。他人事なりに、それはけっこう切実な本心。己に忠実な迷いのなさ。ってやっぱりすごく大切だろうし。なんていうか彼らの発言には真摯なスタンスがあったと思う。例えば表面的には同じ「イェー俺についてこい!」的フレーズ叫んでてもhip-hopの(大半の)人たちからは伝わってこない感じのが。で・その差を微分してみると、つまり「他を排除して己を浮き彫らせようとする」か「それを継承やリスペクトしたうえで乗り越えようとする」姿勢か。ってことなんだろうな。きっと。


 まぁ最後のはちょうど今「ポスト・モダンは克服を含意し、他方ポスト・モダニズムは過去を別物として切り捨てようとする」とかってレポート書いてる最中なもんで、単にこじつけみたくなっちゃってるかもしれませんけど。

 てゆーかそもそもアジアン・カンフー・ジェネレーションだのサンボマスターだのの並ぶ「ニュー・カマー特集」ん中にペンパルズ組み込むのちょっと失礼だろ(笑)って思うけどね。ぼくが「be adams」とか聴いてたのもう5年くらい前だし。や、まぁいいんすけど。