The Cost Of My Freedom

amn2004-03-08



 渡辺 “最後の侍” 勢力の台頭に拠り、栄誉ある「日本3大ケンさん」の座を先日追われたばかり(※)の横山 “Hi-Standard健さんの新譜を聴いています。あぁーなんか98年!って感じです。あくまでぼくの私的な感傷に過ぎませんが。

 (※) 旧「日本3大ケンさん」 → 高倉、ィ横山(CKB)、横山(Hi-Standard


 98年って(こんなん誰も興味ないと思うけど・笑)、「俺の俺による俺のための個人史」上ではけっこう重要な1年であって。2月に高校卒業して3月は1ヵ月なんもしないで4月から予備校行ったんですけど。

 第一に1992年以降、6年間の長きに及んだ男子校生活に終止符が打たれ、それも大学でなく予備校という、きわめてハイ・スクールに近い空気の中で共学感覚を追体験できたこと。まぁ所詮こんなの結果論で、今でこそ言える話なんだけど、やっぱりストレートで大学へ行かなかった(っつーか要は落ちただけだが・笑)のは今顧みて確実にプラスだったと思う。

 そりゃさすがに6年ぶんを1年で全部埋め合わせれるほど現実甘かないけどね。けど、それでもあるとないとじゃ全然違ったと思うし。詰め込み教育の傍ら、取りっぱぐしてた青春と社会性を猛ダッシュでぎゅうぎゅう詰め込んでた感が強い。

 男子校ってのは良くも悪くも(必ずしも純度100%の悪でない。ってのがまた、けっこう重要だったりもするけど割愛)特殊であり、かつ不自然な空間ですから。捩れは必然的に生じるわけで。まぁうちの高校は自由と無秩序を履き違えた、当事者的にはハッピーこのうえない優雅な校風だったんで(笑)その不自然な歪みは、それはそれですげぇ楽しかったんですけど。


 でまぁ。とにかく鎖国は解かれたわけですが、第二に、数多ある候補地の中から黒船が、御茶ノ水駿台港を来訪してくれた。というのも大きかった。これが代々木とか池袋だと、やっぱりまた全然違ってたろうし。

 駿台予備校(御茶ノ水本校限定。ですが)の何より素晴らしいのは、御茶ノ水秋葉原、神保町。という三角形の、重心に立地してるんですよね。キャンパスが。よくよく考えるとこれって物凄く驚異的で、3種類のまったく異なる文化圏を、予備校帰りにいつでもふらっと足で回れるわけです。

 ぼくの場合は専ら音楽中心でしたが、音楽だけをとっても新譜は明治大学の生協で15%(時々セールで20%)offで買えるし、ちょっとマイナーなのや掘り出し物のレコードや中古CDはディスク・ユニオンで揃えれるし、未知の異文化とは「ジャニス」で気軽に交信できるし・・・もうなんか「授業の終ってからが予備校です」みたいな(笑)。そんな感じで毎日巡回ばっかしてた。受験勉強もするには一応してたけど比重は完全に主従逆転してて。今でこそ購入にはamazonって選択肢があるし、情報も無数にある音楽サイトで手軽に仕入れれるけど、98年当時でいえば考えうる最上級の音楽環境にぼくはいたんじゃないかと思う。


 でもって98年といえば「Air Jam」だ。

 この年の夏、Fuji Rockはまだ苗場の大自然を味方につけていなかった。その名の通り富士山麓で行われ、弩級の台風に直撃された前97年(伝説の第1回)を受け、その壊滅から再生すべく東京。晴海埠頭で2日間にわたって行われたFuji Rock

 片や、ぼくは浪人の身。業界用語で「天王山」と称される夏休みだがぶっちゃけそんなの予備校の煽り文句でしかなく、高々2日ツブすくらいなんの問題もない。と思えど、何よりアルバイトのできぬ身ゆえに20000円(だったっけな? もうちょい高かったかも)の大金を投じる余裕がない。


 んで、Fuji Rockの終った少し後に、同じ晴海埠頭で1日単発の開催となったAir Jam。こちらは朝から晩まで2ステージに入れ替わりバンドが出ずっぱりで、なんと破格の5000円。なもんで速攻飛びついた。これは偉業だ。当時もすげぇ! と思ったけど、今振り返って尚更そう思う。

 断っておくけどぼくはFuji Rockの3日通しで38000円。という価格に異論はない。単純に金額として安いとは勿論いえないけれど、毎年それに見合うだけの。もしくはそれ以上の見返りを貰っているし、損をしたと感じたことは過去5年間に一度もない。適価と思うから今年も払う。早割は勿論申し込むけど、それはまた別の話。

 で。もっと別の話になるけど、一方で、5000円という驚異的な安価で丸1日かけての野外フェスを決行した「Air Jam」もまた素晴らしいと思う。これはもう元が取れる/取れない以前の話で、この価格設定で決行したこと。それじたいが最大級の敬意の対象だ。しかもFuji Rocksmashという、いわば仕切りを本分とする会社の手で行われたのに対し、Air Jamを統括したのはハイ・スタンダードという客演側の1バンドであり、突き詰めれば実質・横山健という個人なのだ(pizza of deathの全面的なバック・アップがあったとはいえ)。


 レコード屋に行くとハイ・スタンダードは「パンク」のコーナーに分類されているけれど、ハイ・スタンダードの鳴らす音それじたいは別段パンクじゃない(これはまぁパンクをどう解釈するか。に拠るけど、少なくともぼくにとっては)。

 で。じゃあぼくがハイ・スタンダードをパンクと認めないか? というと、もう全然認める。認めまくってる(って言い方も偉そうでなんだけど)。Air Jamの話がその典型だけど、ハイ・スタンダードの音のみならずその活動全てを通じて、そこにパンク・スピリットとかインディーズ・スピリットって呼ばれるものの、最も正統なあり方をぼくは見る。

 言い方を換えればハイ・スタンダードはぼくにとって、音を通して演奏者の人間性に直接コネクトできる稀有なバンドだ。人間として最低な奴が、でも最高にカッコイイギターを鳴らせるとして、それはそれで極上のロックなりパンクたりえるだろうけど、一方でハイ・スタンダードみたいなバンドがきちんと存在してくれている。というのは物凄く心強いし貴重だと思う。


 98年のAir Jamで、モッシュとかダイヴしながら(うわぁー俺若ぇ・笑)熱狂して聴いていた音楽を、ぼくはもう今じゃまったく聴いてない。てゆーかぶっちゃけ、あれはほんと一時的な熱病でしかなかった(2000年にもっかいAir Jamやるって聞いたとき、すでに行きたいとか微塵も思わなくなってたしな・笑)。

 それでもハイ・スタンダードだけは別格で、エヴァーグリーンで、未だに時々CDラック漁って聴きつづけているのはつまりそういうことだ。「別に危なくないコラム」の難波は脱退した。Hi‐Standard は解散していない。恐らく一生解散するコトはないってのを去年の年末くらいに読んだとき、残念とか悲しいってふうにぼくは全然思わなくて、何より「恐らく一生解散するコトはない」って部分にほっとした、というか嬉しかった。

 なんつーかね。ぼくはもうハイ・スタンダードが活動再開しなくても全然かまわないと思ってる。ぶっちゃけ新譜が出ても買うかどうか怪しいし・・・てゆーか買わないっぽい(笑)。ただ、それでもハイ・スタンダードっていう母体が、たとえ有名無実であれ「終らずに」「残っていて」くれる、それだけでなんだか物凄く安心する。

 ちょっとロマンチックな言い方をすれば、それは「ずっと前に別れてしまって、けれど未だに愛している恋人と、たとえ生涯もう会えないんだとしても、彼女が今もどこかで幸せに生きていてくれるならそれで良い」みたいな感覚に近い・・・ちょっと例えが気持ち悪いけど(笑)でも、ハイ・スタンダードは、そういうので良いと思う。


 「The Cost Of My Freedom」を今日聴いて、その音やカタカナ英語の肌触りがなんだかとても懐かしくて、「うわぁ相変わらずだなぁ」って嬉しくなって、そんなふうに思いました。


 ところで以上の長文を、下手したら丸ごとブッ潰しかねない破壊的なオチがこの話にはあって、Air Jam '98まで実はぼく、ハイ・スタンダードって名前さえ知らなかったのである(笑)・・・嘘みたいなほんとの話。

 当時ぼくリーチとかガーリック・ボーイズとか好きで。そこらへんが観たくて行ったのですよ・・・たぶんあの日の晴海埠頭の、確か3万人近く集まった人数ん中でハイスタ知らない奴なんて他に1人もいなかったんじゃねぇの?

 ハイスタの1コ前のスーパー・ステューピッドで足を怪我して救護室行ったんだけど、そこで救護スタッフの人と喋ってて「まだ今ここ空いてるけどさー。これからハイスタ始まったらもう怪我人続出でぎゅうぎゅうになるよ」「そんなスゴイんすか?」「何しろハイスタだからねー」「へぇーそんな有名なバンドなんすか?」「え? ・・・キミもしかしてハイスタ知らないで今日来たの?」って、お姉さんめちゃくちゃビックリしてたもんな。