against! againest! against!


 ぼくは現在、古本&CD屋さんの(主にCD部門担当として)アルバイトしていて、なのでここ最近は就業時間の大半を、4月1日から適用される税制改正(消費税を含めた総額表示の義務化)に備え、ラベル貼り替え(税抜きと税込み価格の並列表示)や、現行価格の再設定(法改正後の表示価格(5%イン)を丸くするため)作業に費やさなくてはならないわけですが、さて。それが終って帰宅途上の商店街で「いくら払えばいいか一目で分かるから便利だわ」とか抜かす女子と対面するたびに湧き上がるこの殺意をいったいどこへ向けるべきか。


 言うまでもなくこの法改正は、来るべき消費税率アップへの布石であって(例えば税抜き価格で3000円と表示されているある商品が、昨日まで3150円で買えたのに今日から3240円。となると消費者に値上がり感がダイレクトに伝わり拒絶反応を起こすから、今のうちに税込み表示を義務づけといてその増税作用をブラインドしようって目論見ね。ちなみにユニクロなんかじゃ今年10月で消費税が8%になるのを想定して今もう動いてるらしいですし、ユニクロに限らずでっかい販売店は同様にどこも対策練ってるに違いないけど)、つまり「いくら払えばいいか一目で分かるから便利だわ」とかいう一見、消費者の利便性を考慮したかのごとき建前の、内実は逆で、要するに消費者からいかに多く搾り取るか。を狙いすました小手先のテクニックに過ぎない。笑えるくらい稚拙だけどさ。

 まぁテレビも新聞も見ないぼくなんかが怒りと勢いに任せてこういう話をしても説得力ないかもしんないけど、にしたって無知は無知なりに、ムカつくもんはムカつくから感情論ブチ撒けますよ。こんな子供騙しで消費者を誤魔化そうなんて馬鹿にするにも程があるよな。何よりやり方がいけ好かない増税するならするで、そこに確固たる論拠なり信念があるなら消費者の反発覚悟で(全面的に批判を受け入れてでも)強行してこそだろうが、と。それを少しでも受け流そうと誤魔化したがるのがまずいけ好かないし、こんな安易なトリックで誤魔化せるとでも思ってんなら本気でナメてますよお前ら。ってことですよ。


 で。唐突にこんなこと書いたのは最近日常的に感じてたのと、あと音楽配信メモの掲示板で見た「消費税3%の時代にジャスト3000円になるように決めたと思われる2913円なんていう値段で未だに発売している辺りにもレコード会社の無神経ぶりが伺えませんか?」っていう書き込み(housefulさん。115番)に対して思うところが少しあったのとで、ちょっとまた話が飛んじゃうけどCDの価格について言えるのは(単純に高すぎる。っていうの以外に)現行の税込み3059円って中途半端さはやっぱり気持ち悪くて、ただこれは3→5%の増税時に下2桁を丸くしようと3100円に切り上げ、定価と税とで実質税率改正以上の増額。というパターンに陥らなかっただけまだマシ。と言えなくもなかったりして一概に全否定はできない。とはいえ実際、5%への増税に伴って2667(=2800)円や2857(=3000)円、もしくは2381(=2500)円などの新価格を設定してくれたとこも中には幾つかあったわけで、つまりその気になれば決してできないことはなかったはずで、それを他の誰より先頭切ってやるべき会社がやんないで未だ59円の端数が放置されている現状はどうしても居心地が悪いなぁ。ということ。

 そんな2桁単位の端数云々より3桁単位で定価下げろよ。って思う人のが多いだろうし勿論ぼくもそうなんだけど、でもやっぱりこういう細かいとこが気になる人は気になって仕方ないのも事実で、またそういう人にとっては、その程度の些細な部分にどう対応するか。もしくは放置するか。で全体的な印象が大きく変ってくるんだよ、って部分も実際ある。「初回限定特殊パッケージ」とかの無駄を排せば59円くらい絶対に削れるに違いないのに、そうしないのはつまり「大方の人間は59円を気にするより初回盤ゲットに走るんだから売り上げ伸ばすために当然そっち優先」みたく思われてるわけでやっぱり個人的な感情レベルで許しがたいものをどうしても感じる。


 かなり今、怒りに任せて書き殴ってるんで文章が破綻とか主張がザルっぽくなっちゃったりしてるかもしれないけど言いたいことの方向は変らないし、ぼくが日頃こういうふうに思ってるのは事実ですよ。こういう声を普段あんまり届かそうと努力してないぼくが偉そうに構える資格はないけど、努力して届けてる人たちがちゃんといるにも拘らず汲み取らない人たちも同じく問題あると思いますけどね(しかも貴方たちは決定権ってのを持ってらっしゃるじゃないですか!)。


 で。さらにまた話が飛ぶけど、表現活動に於いて「怒り」は大いにモチベーションかつエネルギーたりうると思うんだけど、そうなると今度はその「怒り方」が重要になってくると思うんですよね。換言すればそれが純真な感情であるか、単なるフックにすぎないか。って話ですけど。

 ぼくが日本のヒップ・ホップの人たちをあまり快く思ってないのは、どうしても「怒ってるスタイルやスタンスをキープするための」怒りを発散してるだけ。みたく感じれる人たちが目に付いてしまいがちなせいで、その中には確かにぼくの生理的な嫌悪感でしかない場合も多いけど、それだけじゃなく「なんかアイツむかつく」とかって怒りは、そりゃ人間ですから誰しも日々感じてることだろうけど、だからってそれをそのまま綴って、表面的な韻ばかり踏んでる安易なリリックを読み上げたところで誰が共感するんですか。って部分も少なからずありますよ。

 怒りに限らず、音に込められた感情がどれだけ本物であり真摯であるか。が重要なんであって、それを音以外の場所で発言する・しないは全然どうでもいいことなんですよ。でもってその「音に込められた感情」は確かに必ずしも受信できるとは限らなくて、伝わらなかったり誤解されちゃうことが往々にしてあるのかもしれないけど、それこそ視聴者に委ねるべき部分と思いますけどね。音に込めた感情を「正しく」受信させようとインタビューなんかでそれを補うのは、その行為じたいが悪いとは決して思わないけど、そっちが先にきちゃうとやっぱり順番が逆でしょう。


 例えば物凄い量の怒りを込めた音楽を誰かがつくって、それを聴いてぼくらが「超ハッピー」とか思ってノリノリで踊っちゃうのは聴き方として正しい・間違ってるの問題じゃないと思うし「楽しみ方」として全然正しいと思うんですよ。なぜなら、その怒りをぼくらが勝手に「ハッピー」に変換して受信しちゃったとしても、それがちゃんとした真摯なものである以上、きっとどこか、もっと深い部分でそれは「共感」「共有」されてると思うし(たとえぼくらが無自覚としても)。

 例えばまた別の話で、「Air(日本の)は政治的な歌ばっか歌っててカッコ悪い」って見方のほうが全然カッコ悪いでしょ、っていう。Airの音を聴いてカッコイイと感じるのもカッコ悪いと感じるのもそれは個人の感覚の話でどっちでもいいし「政治的な部分は置いといて単純にカッコ悪い」と思うのは全然アリですよそれは。けど政治的「だから」カッコ悪い、は接続詞として間違ってる。「車谷だせぇー」って鼻で笑い飛ばしながらソウル・フラワー・ユニオンとかでガンガン踊ってる行為のほうが、そしたら全然不自然で気持ち悪いですぼくにしてみれば。


 かなり紛らわしい言い方に聞こえるかもしれないけど「政治的な歌を歌う奴は嫌い」って思うのは個人の自由だしアリだとぼくは思ってますよ。それじたいがダメとは言ってない。「政治的な歌を歌う奴は嫌い」+「Airが政治的な歌を歌う」=「Airは嫌い」、という式は成り立ちますよ。つまり言いたいのは「嫌い」と「カッコ悪い」をごっちゃにしないで自分の耳で聴き分けようよ、ってこと。勿論「嫌いでカッコ悪い」が大半になるんだろうけど、嫌いなものが必ずしもカッコ悪いとは限らないわけですよ。

 でまぁ以上の話はネタばらしすると、ぼくも実はAirって個人的に気に食わないんだけど(笑)こないだ「Last Dance」って曲を聴いてちょっと感動してしまった。という事実を掻き消すために、闇雲に捲くしたててる節がけっこうあるのと(笑)あと「なんかいかにも」って先入観で絶対つまんないと決めつけてた「リリィ・シュシュのすべて」を確か先月くらい観たんだけどそしたらやっぱり感動してしまって。それを思い返しての反省であり、また同時に先日くるりの「アンテナ」んとき書いた話と異口同音の、けっこう重複してくる話でもあり。


 なんか勢い任せに物凄い悪文を書き散らしたのを今ひしひしと実感してますけど、まとめると「目を研げ、耳を澄ませ」ってことです要は。でもってそれを「本質を学べ、価値を知れ、裸を見ろ」「究極を学べ、核心を知れ、心眼で見ろ」という言い方で、ぼくよりずっと真摯に謳い上げてくれている先人に感謝しつつ寝る。