自問自答


 Zazen Boys を好きになれなくて困っている。理由はわからん。Zazen Boys をパーツごとに解体して見ると、これはもう見事に自分好みの要素ばかりで構成されているのであって、音は快感ド真ん中だし向井さんの読経ラップは痺れるしアヒトさんもちゃんといて、大好きなあのドラミングも健在だし「Cold Summer」とか「自問自答」を何回聴いてもカッコイイし、だからぼくは Zazen Boys を好きになって然るべきと思うのだけれどもなぜか好きだと言い切れず、アルバムを何度聴き通してもそのたび「んー」と完全燃焼しきれないモヤモヤ気配な俺がいて、聴き終えてもう1回アタマからリピート。っていう手がどうも伸びない我が身に戸惑う。


 いや「困っている」っつったけど別に実際困っちゃいない。なんだそれは。うん、つまり思うんだけど何も「Zazen Boys を好きにならなきゃいけない」とかじゃ全然ない。至極当たり前だが、好きじゃないなら好きじゃないで聴かなきゃそれで良いんであって、例えば皆が「すげーすげー」と騒いでるから自分もその輪に加わらなければならないとか。高名な音楽評論家が諸手を挙げて絶賛してるからそのアルバムに自分も感応しなきゃいけないとか。そんなくだらない音楽の聴き方は時間の浪費に他ならないし、できればぼくもご免願いたい。

 何かを聴いて「かっけー!」と心の底から思えたら、そう声に出して騒げば良いし、思わなければ口を噤んで他の「何か」を探せば良い。当たり前だ。誰かが一度でも「名盤」と形容したレコードを片っ端から全部聴こうと思ったらそれだけで人生終ってしまう(てゆーか足りない)。人生で1枚でも多くの名盤と出会いたい。という思いはそりゃぼくにもあるし音楽好きの人間にとって正常な志向かもしれないけど、その「名盤」を選定するのはあくまで自分自身の感覚や巡り合わせの妙であって、雑誌のレビューやライナー・ノーツじゃ断じてない。


 それはわかる。そんなの痛いほどわかっている・・・んだけれど、にも拘らず他方「好きになりたい」と強烈に欲する自分もいたりするから厄介だ。少なくとも「Zazen Boys」はぼくにとって現時点で「良盤」である。カッコイイし、駄作とは全然思わない。けれど心の底から「かっけー!」って叫ぶほどには、まだアジャストなりシンクロしきれずにいる。なんだろうね、このズレは。「好きになれそう」もうちょい切り込めば「なれるはず」なのになれない。「手の届きそうで届かない」歯痒さ、的な感覚に近い(と、分析したところで何が変るでもないけれど)


 とにかく「Zazen Boys」とぼくの関係は現在こういう按配であって、この先重ねて聴くうちに少しずつ好きになっていくのか。飽きてって聴かなくなっちゃうのか。或いは、ある日突然バチッと何か電気が走って途端に心酔するんだろうか。わからないけど、もしそうなら、その日までアヒトさんがずっとドラムを叩きつづけていてほしいなぁ。っていうのをきっと、いまいち主旨の判然としないこの文章は、たぶん言いたかったんだと思う。


 (※)関連 → id:amn:20040119