後編 「Music!」


 池谷先生を一言で表すなら「ジャージ姿の寛野先生」っていう感じだった。

 寛野先生を知らない人は「赤ちゃんと僕」の12巻(たぶん)を読んでください。なお寛野先生は後の巻でも再登場しますが、その頃だとある程度「開いた」人格にデフォルトでなっちゃってて的確じゃないです。あくまで初登場時の、あの「いかにも冷めててやる気ゼロな感じ」がすごい重要。


 池谷先生はふらーっと音楽室へ入ってきて(この歩き方の時点で早くもやる気なさげ)五線譜のもともと書いてある黒板の、その隙間の部分に「池谷」と書いた。

 えっ、苗字だけなの? いや下の名前も書くだろ普通・・・。


 いきなりのジャブにちょっとビビる生徒たち(かどうか知らんが、少なくとも俺)・・・そして案の定、抑揚の殆どないあまり大きくない声で「池谷です」と言った。そして書いた字を、黒板消しで消す。

 消すの早っ! Σ( ̄□ ̄;)


 初対面である。ぼくら生徒にとって、今日初めて会う先生なんである。もっとこう・・・なんか、その、いろいろ・・・さ。言うもんじゃないんですか普通。しかも彼にとってみれば「新年度の第1回め」というのみならず、この学校へ赴任してきて最初の、まぁ一応、記念すべき授業なんである。少なからず緊張とか、力んじゃっていてこそ然るべきだろう。それを「池谷です」って。飄々と言ってのけ、言い終えるや否や黒板を消す、その早業。

 音楽室に「ざわ・・・ ざわ・・・」という擬音が混じりだす。直感的に「なんかこいつはちょっと違う」というか、少なくともぼくらが今まで、まだ小学生のガキに過ぎない未熟な人生経験ながらも漠然と把握していた「常識」を、この先生はあっさり無視する。無視と言うより、ハナから見る気もないと言うべきか。とにかくそういう不穏なオーラを、なんとなく肌で感じとったんだったと思う。


 池谷先生はそれから、ぼくらに向き直って「今日からこの学校で皆さんに音楽を教えることになりました」的な、まぁいわゆる妥当な話を少しした。「よろしくお願いします」だの「早く皆の名前を覚えますね」みたいのを二言三言とか、その程度。

 そしてまたくるりとぼくらに背を向け、五線譜の隙間にチョークで


   「音学」


 と、書いた。

 Σ( ̄□ ̄;)


 またも意表を突かれた。「音」と「学」・・・4年生だったので当然知っている2つの漢字が、けれど今まで見たことのない組み合わせで、そこに並んでいた。池谷先生はそれだけ書いてチョークを置き、またぼくらに向き直ると、抑揚のないクールな口調で淡々と喋りはじめた。


 「皆の習った書き方と、ちょっと違ってると思います。学校の「学」じゃなくて、「楽しい」って書いて音楽って読むのが正解ですよね。もしかして皆も、前の音楽の先生から「音を楽しむ。と書いて音楽なんですよ。だから楽しんで勉強しましょうね」って言われたことがあるかもしれません。それは、間違っていないです。

 だけど先生は今、学校の「学」って書きました。「学」という字は、わかりますよね、勉強するっていう意味です。この書き方は間違っていますが、なんで先生がわざとこう書いたかと言うと、本当に音を楽しむためにはちゃんと勉強して知っておかなければならないことがたくさんあるからです。それをちゃんと勉強しておかないと、本当は楽しいはずの音を、うまく楽しめなくなってしまうかもしれません。だから先生は、これから皆に、音を学ぶ。と書いて「音学」の授業をしようと思っています」


 ・・・衝撃だった。

 ぼくは慄然とした。初めて聞く言葉だった。ぼくが今までにお稽古事でエレクトーンを習った先生も、ピアノを習った先生も、そして大好きだった高井先生も、誰もそんなこと言ってなかった。てゆーかぼくらに「音楽っていうのは、音を楽しむ。って書くんだよ」と教えてくれたのが他ならぬ高井先生だった。それをこの男はたった2文字でさっくり否定した(実際には否定してないけど、そう感じれるくらい衝撃的だった)


 その頃ぼくは9歳で、4年生になったばかりで、だからまだ「パンク」という言葉は知らなかったけど、あのとき感じた得体の知れない衝撃を今、言語化すれば間違いなくあれは「パンク」だと思う。これこそぼくが生まれて初めて「パンク」と出会った瞬間だった。と言ってもあながち過言じゃない気がする。勿論そのへんは全部「今思えば」の話だけれど、当時のぼくはその衝撃の正体もわからず、ただその重さに圧倒されて「なんだかわからないけど」この新しい 音楽 音学の先生に、強烈に魅かれてしまったのだった。


 池谷先生は「徹底の男」だった。物腰はいつも徹底してクールだったし、授業時の服装は最後までジャージだったし、話す内容も首尾一貫していた。惜しむらくは、その「一貫」がかなり高い頻度で妙な方向へ向いてしまう。ということで、例えばこの、ぼくをパンクと出会わせてくれた衝撃的な話の後、続けて先生は「今までの先生とやり方も違うし、きっと皆も最初は戸惑うと思います。面白くないと思ったり、大変だったりすることもあると思います。でも先生も頑張ってうまく教えようと思うので、皆も、もしつまらなくても頑張って聞いてください」と言った。

 そして池谷先生の音学の授業は、彼自身の言に違わず、ほんとに死ぬほどつまらなかった。さして集中力の高くない小学生の小僧にとって、退屈とは、すなわち最大の敵である。つい先日まで音を楽しむ授業だったのが、楽しくない授業へ反転したら普通に耐えれるもんじゃない。なんたって池谷先生の授業は「ト音記号を100個書いてうまくなりましょう」とかそういう、本気で気の遠くなるほどクソな内容だった。普通に無理です。


 「どうしてリコーダーを吹くと音が出るのか、不思議に思ったことがあるでしょう。そこで今日はリコーダーを分解して調べてみましょう。音の出る秘密がわかるかもしれません」という前口上で始まり、50分かけてリコーダーを分解し、各パーツを横に並べたり中を覗いたりした日もあった。意味がさっぱりわからなかった。そんなことよりぼくは「コンドルは飛んでいく」を吹きたかった。

 挙句その日は「分解して調べてみても中身は空っぽで、どうして吹くだけで音が鳴るのか結局わかりませんでしたね」という壮大すぎるクソ落ちで締め括られた。まさにパラレル音学ワールド。音楽室からの帰り道、皆が口々に「つまんねー」「つまんねー」と連呼し、ぼく自身つまんねーと思いながら、それでもなぜ池谷先生があまり嫌いになれないのか。まだ「パンク」という言葉を知らない4年生に、その理解を望むのは少々酷な話です。